使い魔レンちゃん、向かうは敵なし!

6月前半




6月1日(金)

今日もいつもより早く起きた志貴さま。
二日連続の快挙に秋葉さんはビックリしています。

「兄さんが二日連続で早く起きるなんて、雪でも降るのかしら」
秋葉さんはニコニコと顔中に満面の笑みを浮かべて、そんな軽口までたたきます。
あの秋葉さんが冗談を言うなんて……
こちらも驚いてしまいます。

いつもギリギリまで家にいて、志貴さまが起きるのを待っている秋葉さん。
もっと話をしたいのに、肝心の志貴さまが起きてこない。
秋葉さんはいつも寂しく感じていたのかもしれません。
たった二日、いつもより早く起きただけなのに、それはそれはとても幸せそうです。

志貴さまもそんな秋葉さんを見て、微笑んでいます。
「ごめんな、秋葉。いつもギリギリに起きて。
 おまえがそんなに嬉しそうにするなら、早く起きるように頑張るよ、俺」

秋葉さんは志貴さまの言葉を聞いて、顔を真っ赤にしてそっぽを向きます。
そして志貴さまに向かって
「そうしていただけたら、秋葉は嬉しいです」
と呟きました。

琥珀さんと翡翠さんが顔を見合わせています。
志貴さまもびっくりした顔で秋葉さんを見ています。

三人が驚くのも無理はありません。
普段の秋葉さんでしたら、
「嬉しそうになんてしていません。兄さんの生活を正そうとしているのです」とか
「遠野家の長男として恥ずかしくないようにしていただかないと」とか
「有間の家とは違います。しっかり規則を守ってください」というようなことを言うはずですのに、
いつもとは違うことを言うのです。
誰が聞いてもびっくりしてしまいます。

「秋葉様……志貴さんに対して素直になられましたねー」
琥珀さんが驚きを隠せない表情で秋葉さんに感想を述べました。
無表情にちかい翡翠さんも驚きの表情を浮かべてお姉さんの発言にこくこくと頷いています。

「別に素直になったわけではないわ。
 ただ兄さんにははっきり言っておかないと、その奪われそうだから……」
秋葉さんは顔を真っ赤にして言い切ります。

それを聞いた志貴さまも顔を真っ赤にして明後日の方向を向いたりしています。

「あらあら、秋葉さま。ずいぶん変わられましたねぇ。
 これもアルクェイドさんやシエルさんのおかげでしょうかー」
琥珀さんが秋葉さんを眺めて嬉しそうにしています。
志貴さまは未だ真っ赤のまま。

「兄さん、ですのでよろしくお願いします」
そう言って秋葉さんは軽く頭を下げました。



あらあら、アルクェイドさま。
また一人強力なライバルが現れました。
秋葉さんは皆に名乗りを上げて志貴さま争奪戦に参戦です。
なまじ身近にいるだけに強敵ですよ、秋葉さんは。
頑張って志貴さまを勝ち取ってください。
この笑顔を独り占め出来るように。



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6月2日(土)

今日はふだんより少し遅い時間に起きた志貴さま。
さすがに三日連続で早起きすることは叶わなかったようです。

「おはよう、翡翠」
志貴さまは起こしてくれた翡翠さんへにこやかに挨拶します。

「おはようございます、志貴さま。起床の時間です」
翡翠さんは赤くなる顔を隠すように頭を下げています。

翡翠さんと朝の挨拶を交わした志貴さまは、
そのまま着替えて階下に降りていきます。



一階の居間では秋葉さんが琥珀さんとお茶を飲みながら
くつろいでいました。

「おはようございます、兄さん。
 さすがに三日連続で起きられなかったようですね」
秋葉さんが志貴さまに挨拶します。
秋葉さんも志貴さまが三日連続で起きられるとは思っていなかったらしく、
笑顔で話しかけます。

「おはよう、秋葉。ああ、さすがに無理だったよ」
志貴さまは苦笑しながら秋葉さんの挨拶に応えています。

「おはようございます、志貴さん」

「おはよう、琥珀さん」

志貴さまは琥珀さんとも挨拶を交わして、秋葉さんの前に座ります。
琥珀さんは志貴さまが起きられたので朝食の準備をしに食堂へ。

「今日はいつもよりゆっくりだな、秋葉。
 学校が休みとか?」
志貴さまは大丈夫かという顔をしながら、秋葉さんに尋ねています。

「いえ、今日は学校です、兄さん。
 今日は土曜日ですので比較的道がすいています。
 ですから、もう少し遅くに家を出ても間に合うのです」
秋葉さんが志貴さまに答えています。

「心配して下さったんですか、兄さん?」
秋葉さんが志貴さまの顔をのぞき込むようにして話しかけます。
秋葉さんは昨日以来、志貴さまに対して妙に積極的です。

「それはなー、兄貴としてな、心配するさ。
 まあ、お前のことだから大丈夫とは思うけど」
志貴さまは昨日の秋葉さんの宣言を思い出したのか、
ちょっと照れながら返事をしてます。

「ありがとうございます、兄さん。
 秋葉は兄さんに心配していただいてとても嬉しいです」

「あ、うん……」


なにか秋葉さんが変わられました。
昨日の宣言以来、怖いものがなくなったのか、志貴さまに対して
ガンガン攻め込んでいます。
見ていると、志貴さま、真っ赤です。


「秋葉、お前、変わったな……」
志貴さまはボソッと呟きます。

「そんなことありませんよ、兄さん。
 秋葉は昔のままです。
 ……そんなに変ですか、私?」

「……うん、変というか……
 どっちかというと、変わったというわけではないな。
 昔の……小さい頃の秋葉に戻った感じだな、なんとなく」
志貴さまは小学生の時のことを思い浮かべるかのように
秋葉さんに説明します。

「昔のですか?」

「そう、昔の秋葉。
 いつも俺の後ろにくっついてきた秋葉。
 一緒に遊んだ秋葉。おとなしかった秋葉。
 そんな時代の秋葉にさ」

「むぅー。今の私はおとなしくないと言うのですか、兄さんは」
秋葉さんが頬を膨らまして、志貴さんを睨みます。

「いや、そんなことはないけどさ。
 なんとなく、俺がこの家に戻ってきてからの秋葉と違うような気がして。
 どっちかといったら、今の秋葉は子供の時の秋葉みたいなんだよ」
志貴さまが自分の思ったことを説明します。

「うーん、そうでしょうか。
 私は変わってないつもりなんですけどね」

「いや、変わったよ、秋葉」

「うーん……
 いつも通りだと思うのですけどね」


二人の間に沈黙が流れます。
でも食堂からその沈黙を破る声が聞こえてきました。

「そうですね、秋葉さまは変わられてないですよー。
 どちらかといえば、自分に正直になったかと」

手を拭きながら食堂から出てきた琥珀さんが
志貴さまと秋葉さんの会話に割り込みます。

「自分に正直?」
志貴さまが聞き直します。

「はい、秋葉さまは今まで通りに志貴さんと接していたら、
 アルクェイドさんやシエルさんに奪られちゃうと思ったのですよ。
 ですので自分の気持ちに正直になっただけです」
琥珀さんがズバッと断定します。

秋葉さん真っ赤。
志貴さまも真っ赤。
琥珀さんはアハハーと笑っています。

「あ、志貴さん、朝食の用意が出来ましたので食堂の方へいらしてください」
琥珀さんが何事もなかったかのように話を進めます。

「あ、ありがとう、琥珀さん。それではいただきます」
志貴さまはそう言って食堂へ向かいました。

「秋葉さま、もうそろそろ行かないとさすがに遅刻してしまいます」

「そうね。それでは行きましょうか」
秋葉さんは赤い顔のまま、席を立ちます。

「じゃ、秋葉。遅れないようにいくんだぞ」
志貴さまが食堂から声をかけます。

「えぇ、大丈夫です。安心してください」
秋葉さんは志貴さまに返事をすると、そのまま居間を出ていきました。


秋葉さんと琥珀さんは、車に乗っていつもより遅めに学校へ行きます。
隣の県の浅上女学院まで。



うーん、アルクェイドさま、結構まずいかと思います、この状況は。
秋葉さんがいつも身近にいる利点を生かして
志貴さまに猛アタックをかけています。
志貴さま、いい感じで押され気味です。
このままいきますと、もしかしたらもしかするかもしれません。
ぴんちです、アルクェイドさま。



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6月3日(日) 午前 前半

秋葉さんが居間で琥珀さんと紅茶を飲みながらイライラしています。
何をイライラしているのでしょうか。
志貴さまも起きてこないようですし、ちょっと聞き耳を立ててみましょう。

「兄さんはまだ起きませんか、翡翠?」
秋葉さんはイライラしながら尋ねています。

「ハイ、志貴さまはまだお目覚めではないようです」
翡翠さんは壁際に立って、秋葉さんの質問に静かに答えます。

「もう、兄さんはいったい何時まで寝ていれば気が済むのかしら。
 もう十一時ですよ、十一時。
 せっかく、こんなにいい天気なのに寝ていたらもったいないでしょうに」
秋葉さんはぶつぶつ志貴さんに対する文句を呟いています。

「まあまあ、秋葉さま。志貴さんも学校がないときぐらいゆっくり寝たいのでしょう。
 そんなに怒らなくても」
向かい側に座る琥珀さんが秋葉さんをなだめます。

「だって、せっかく今日は兄さんと一日が過ごせると思ったのに……
 兄さんが起きてこないのでは話になりませんわ」
秋葉さんは拗ねた口調で志貴さまを責めています。
志貴さまがこの場にいないのが唯一の救いです。
もしいたら、秋葉さんの怒りのターゲットは確実かと。

「しかし、秋葉さまも素直になられましたねー。
 以前でしたらそのようなことは口が裂けても仰らなかったですのに」
琥珀さんが秋葉さんの発言を聞いて感心しています。
翡翠さんも壁際で一緒になって頷いていたりします。

「ゴホン。
 ……まあ、私のことはこの際関係なくて。
 今は兄さんのことです。
 翡翠、もう一度兄さんの部屋に入って、起きているか確認してきて」
秋葉さん、顔を赤くしながら翡翠さんに指示します。

「はい、わかりました」
翡翠さんは志貴さまの部屋へ行こうとして、ドアを開けたところ、
そこにちょうど志貴さまが起きてこちらに向かってくる姿が見えました。



志貴さま、眠そうな顔でドアを開けて、居間に入ってきます。

「おはよう、翡翠」
志貴さまはまず最初に翡翠さんに挨拶しています。

「おはようございます、志貴さま。お目覚めの時にお側に控えておらず申し訳ございません」
翡翠さんは頭を下げて、お詫びしました。

「いいよ、翡翠。日曜日ぐらいそんなことしなくても。
 休日はいつ起きられるか自分でもわからないからさ」
笑顔で志貴さまは翡翠さんを許します。
翡翠さんは自分の主人の笑顔を見て真っ赤になり、その顔を隠すかのように下を向いてしまいました。

「おはようございます、志貴さん」
琥珀さんがにこやかに挨拶します。

「おはよう、琥珀さん。ご飯できていますか?
 俺、腹減っちゃって」
おなかを押さえて、朝食をねだる志貴さま。

琥珀さんは笑顔を浮かべて
「はーい、今用意いたします」
と厨房へ消えていきました。


志貴さま、わざとかどうかわかりませんが、秋葉さんへの挨拶を一番最後にしました。
先ほどから機嫌が悪い秋葉さんが余計機嫌が悪くなるような行動です。
気づいてないのでしょうか、志貴さま。

いくら志貴さまが命知らずだといっても、怒れる秋葉さんを無視するのは
我が主人、アルクェイドさまでもあまりやりません。

……志貴さま、どうかご無事で……



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6月3日(日) 午前 後半

秋葉さんに挨拶をしなかった志貴さま。
まことに命知らずです。
すぐそばで秋葉さんがジト目でお兄さんを睨んでいますが、
まだ、気づいておりません。

志貴さま、眠そうな顔で辺りを見回し、ようやく秋葉さんに気づきました。

「あ、秋葉、おはようー」

「……おはようございます、兄さん」
秋葉さん、ボソボソと挨拶をします。

「どうしたの、秋葉?
 なんか機嫌悪そうだけど……」

うーん、志貴さまは天然です。
ご自分の行った行為をわかっていないところが。
秋葉さんは自分に気づかなかった、という点に怒っています。
ですが、志貴さまは秋葉さんが何故怒っているのか全くもってわかっていません。
秋葉さんの怒りは爆発寸前です。



しばらく、秋葉さんに睨まれていた志貴さま。
しかし志貴さまは何故睨まれているのかわかっていない顔をしています。

「秋葉」
志貴さまが睨まれながら、再度秋葉さんの名を呼びます。

「…なんですか!兄さん!!」
秋葉さんはそっぽを向いて、拗ねた口調で志貴さまに返事をします。
少し髪が赤くなっているような気がするのは気のせいでしょうか。

「秋葉さ。今日、俺、特に用事がないから、もし秋葉さえよかったらどっか遊びに行こうか?」
志貴さまは狙っていたのでしょうか。
現時点の状況に極めて有効なクリティカルな発言。


秋葉さん、あわてます。
先ほどまでの雰囲気はどこへいったのやら。
あっさりと志貴さまの一撃で沈没寸前です。


「……え、え、えぇ……あ、遊びにですか?」
秋葉さん、かなりあわてています。
普段ならどもることなどないのに、お兄さんの予想外の言葉を受けて、
びっくりしてしまったようです。
普段の冷静沈着な秋葉さんとはとても思えないぐらいの変わりぶり。

秋葉さんは怒った顔を続けるべきか笑顔になればいいのか、
どちらの顔にしたらいいのかわからず、中途半端な―――言葉で言い表せない表情で志貴さまを見つめます。

「そう、遊びに。ほら、このごろ、お前に構ってなかったからさ。
 もし予定がないようだったら、一緒に出かけようかなと思って」
志貴さまが秋葉さんを誘っています。
名指しではっきり秋葉さんを誘うそのセリフ。
二度も志貴さまから誘われて、秋葉さんは魂が抜けかかったようにボーとしています。

「こんなにいい天気だし、家の中に籠もっていたらもったいないだろ。
 久しぶりに二人でどっかに行こうよ」

志貴さま、秋葉さんを撃沈しました。
完全陥落です。
秋葉さん、志貴さまのお誘いを受けて顔が真っ赤になっています。
先ほどまで怒りのために髪が赤みがかっていましたが、
今改めて見るととてもきれいな黒髪に戻っています。

「いいんですか、私で……」
秋葉さん、夢ではないだろうかとおそるおそるの確認。

「いいも何も、俺はお前を誘っているんだけど。
 まあ、嫌ならあきらめるけどさ」
志貴さま、上目遣いに秋葉さんを見つめて、決め言葉です。

秋葉さん、首をブンブンと振って
「兄さんと一緒に出かけられるのに嫌も何もないです!
 行きます、どこへでもついていきます!!」

すごい剣幕で志貴さまにまくし立てる秋葉さん。
本人は気づいていないかもしれませんが、よく聞くとかなりの爆弾発言。

志貴さま、それに気づいたようですが、あえて聞かなかったことに。
大人の判断です、志貴さま。

―――でも、志貴さまはまだまだ甘いです。
遠野家にはこの方がいらっしゃるのです。
遠野家の影の支配者、琥珀さんを。

「アハッ、秋葉さま。今の発言は女の子が軽々しく言う内容ではないですよー。
 志貴さまですからいいですけど、どこへでもついていく≠ネんて言うのはまずいのではないでしょうか?」
志貴さまはあたた、という顔をしております。
遠野家で唯一、志貴さま以外で秋葉さんを説得できるこの方のことを失念していたようです。

琥珀さんに指摘されて、自分がどんなにすごい発言をしたのか、ようやく気づいた秋葉さん。
顔を真っ赤にして俯いてしまいました。

一緒に志貴さまも赤くなっているのはご愛敬。

「わ、わたしは別にそういう意味で言ったわけではないわ、琥珀。
 ただ兄さんの出かけるところならどこでもいい、という意味で……」
秋葉さんはしどろもどろになって琥珀さんに説明しています。

琥珀さん、秋葉さんをほっておいて、悪魔のような笑みを浮かべて志貴さまに注意します。
「ダメですよー 建前上、二人は血が繋がっていることになっているのですから。
 人に見られないようにしないと、スクープされちゃいますよ」

琥珀さん、カメラを構えてシャッターを押す振りなんてしています。
志貴さまも沈没寸前。
まさか琥珀さんにからかわれるとは思っていなかったようです。

「こ、こはく!」

「アハー、冗談が過ぎましたね、秋葉さま。申し訳ございません」

自分の主人である秋葉さんが怒ったので、あっさりと謝る琥珀さん。
簡単に謝られたので手の振り下ろす先がなくなり
秋葉さんは「わかればいいのよ」とブツブツ呟き席に座ります。



「じゃ、いいかな、秋葉?」
志貴さまがOKかどうかの返事を聞きます。

「ハ、ハイ! 行きましょう、兄さん!」

「じゃあ、お昼を食べてから、街を歩こうか。
 それでいいかな、秋葉?」

「ハイ、兄さんにお任せします」

「うん。じゃ、琥珀さん、悪いんだけど、一時から出かけるから
 それに間に合うようにお昼を作ってくれないかな」

「ええ、わかりました、志貴さん。
 身支度もあるでしょうから十二時すぎぐらいまでに食べ終わる感じで
 ご用意すればよろしいですね」

「そうだね、それでお願いするよ、琥珀さん」

「承知いたしました、志貴さん」

琥珀さんは志貴さまに返事をすると厨房へこもりました。
今から準備をされるのでしょう。

秋葉さんは志貴さまに誘われてからボーとしてます。
まだ顔が赤いです。

翡翠さんは壁際に立って秋葉さんのことを羨ましそうな顔をして見ています。
志貴さまはそんな翡翠さんに気づくと、にっこり笑いかけます。

「翡翠。今日は秋葉と出かけるけど、今度はみんなで一緒に出かけよう。
 琥珀さんも誘ってさ。
 今日は秋葉と二人で出かけるけど、次は必ず、ね」

翡翠さん、志貴さまの言葉を聞いて、顔が真っ赤になってしまいました。
真っ赤な顔を隠すかのように下を向き、
「はい、よろしくお願いいたします、志貴さま」
とささやいています。

志貴さまはそんな翡翠さんの頭を軽くなでて、自室に戻ります。
居間にてフリーズ中の方が二人に増えてしまいました。



うん、これはご主人様に報告すべき事態のようですね。
志貴さま、申し訳ございませんがわたしはアルクェイドさまの使い魔。
マスターに報告する義務があるのです。
マスターがどんなことをされるかはわかりませんが、ただ報告するのみ。
すいません、志貴さま!



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6月3日(日) 午後 前半

わたしは急いでアルクェイドさまのところまで戻りました。
志貴さまと秋葉さんのお出かけの件をマスターに報告するために。

遠野の屋敷からアルクェイドさまが住むマンションまで一気に走り抜けて
マスターの住む部屋に飛び込みます。

「ハァーハァーハァーハァーーー」

「レンー、そんなにハァハァ息を切らしてどうしたの?」
良かった。アルクェイドさまは自室にいらっしゃいました。
息せき切って部屋に駆け込んできたわたしを見てびっくりしています。

「アルクェイドさま、ハァ。志貴さまが、ハァ……」
わたしはハァハァ息を切らしながら、志貴さまと秋葉さんのデートの件を伝えようとしました。
しかし、ここまで一気に走り抜けたせいで、うまく言葉が出てきません。

「志貴が? 志貴がどうしたのよ、レン?」
アルクェイドさまの雰囲気が変わりました。
目が心なし金色に光り、いつもの柔らかい感じがなくなって鬼気迫る感じになりました。

うっ、怖い。
マスターからにじみ出る雰囲気が変わったので、報告しにくくなりました。
それはそうでしょう。
いくら自分のマスターとはいえ、真祖の鬼気迫る感じはいつまでたっても慣れることはありません。
自分が何かされるわけではないとはいえ、体が拒否反応を起こすのです。
頭ではわかっているのです。
別にアルクェイドさまが何かするわけではないと。
でも、本能が逃げたがるのです。
もうこうなると、どうしようもありません。

「……レン? 志貴がどうしたのよ。さっきから聞いているのだけど?」

あまりの怖さに秋葉さんとのデートのことが報告しにくくなりました。

「……レン。志貴がどうしたの?説明してごらんなさい」
アルクェイドさまが優しい口調で、うながします。
ああ、これは怒っているときの口調です。

「あ、すいません。
 志貴さまがその……
秋葉さんとデートをされるようなのでそれを報告しに参りました」
わたしは緊張でつっかえながらもアルクェイドさまに何とか報告しました。

「……志貴が、妹とデート?」
アルクェイドさまが、一言一言区切るような口調で聞き直します。

「はい、これから二人で出かけるようです」

二度繰り返して報告しましたら、なにやらアルクェイドさまは
ブツブツ呟いております。
先ほどより、より近づきがたくなっています。

「レン!」

「は、はいっ!」
アルクェイドさまに名前を呼ばれ、直立不動の姿勢で返事をします。
そう、まるで軍隊で上官に呼ばれたかのように。

「レンは急いで戻って志貴の監視を。私もすぐに行くわ」
アルクェイドさま、じきじきに御出陣のようです。

「はいっ、わかりました!」
わたしは志貴さまの監視をするために遠野の屋敷に戻りました。


アルクェイドさまは志貴さまと秋葉さんのデートで何をなさるのでしょうか。
アルクェイドさまに報告したのはわたしとはいえ、不安で胸がいっぱいです。
たぶん、秋葉さんといい雰囲気になりそうになったら邪魔をするのでしょうけど、
志貴さまに見つからないように邪魔をしないと嫌われてしまうかと思います。
大丈夫でしょうか、ご主人様……



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6月3日(日) 午後 中間

アルクェイドさまの指示で志貴さまの監視を命じられました。
志貴さまが出かけてしまったら、監視が続けられなくなるので
出かける前に捕まえないといけません。
急いで遠野の屋敷までUターンです。


わたしは町中を走っていきます。
周りの人間の目がちょっと気になりますが、この際そんなことは言ってられません。
もし、志貴さまを見失いでもしたら……
ブルブル、そんなことは想像できません。
確実にわかることはアルクェイドさまからきつーいお叱りを受けること。
ただ、それだけです。



あの角を曲がって、もう少し行けば坂があります。
そしてその坂を登れば遠野のお屋敷です。
もうすぐです。
もうすぐで志貴さまのところに辿りつけます。


そんなことを思いながら走っていて、
勢いよく曲がり角を曲がった途端、何かにぶつかりました。


「キャッ!」


わたしは短く悲鳴を上げ、ドンと道路に尻餅をついてしまいました。
どうやら人間にぶつかったようです。
いくら急いでいるからといって、人間に気づかなかったなんて……
わたしは闇に棲まう者として失格でしょうか。


「大丈夫? 怪我しなかった?」
わたしがぶつかってしまった人間が声をかけてきます。
倒れているわたしに手を差し伸べながら。
この人間は親切なようです。
わたしは「どこ、見てるんだ!」と怒鳴られることを覚悟していたのですが……

「あ、すいません……」
わたしはその人間の差し伸べた手をつかんで立ち上がります。
立ち上がったら、お尻に付いた埃をパンパンと叩いてはらいます。
そうして、ようやくぶつかってしまった人間を確認します。








………………あ、あれ、志貴さま?


何ということでしょう。
わたしは志貴さまにぶつかってしまったのです。
ちょうど志貴さまは秋葉さんとのデートに出かけられたところだったようです。
志貴さまの隣には秋葉さんが控えております。


「うん、怪我はないようだね」
志貴さまは笑顔でわたしに声をかけます。

う、なんていうか、間近で見る志貴さまの笑顔にドキドキします。
いままでは他の方に微笑まれる志貴さまの笑顔を見てきましたが、
まさかわたし自身に微笑まれるようなことがあるとは……
なんていうか、ほかの方が志貴さまの笑顔を見て、ボーとしてしまうのがわかります。
わたしも魂ごと持っていかれそうです。

「だめだよ、曲がり角を曲がるときは気をつけなきゃ。
 ぶつかって怪我してからではおそいんだよ。
 君みたいなかわいい子が顔に傷でも付けたらどうするの」

志貴さまが中腰の姿勢でわたしの頭に手を置きながら、優しく注意します。
隣で秋葉さんがしかめっつらをしています。
どうやら志貴さまがわたしのことをかわいいと言ったことが気に入らない様子。

「……す、すいません」
わたしはかわいい≠ニ言われたことに顔を赤くしながら、素直に謝ります。
確かに前方不注意だったのはこちらですので謝るしかありません。

……しかし、志貴さまにぶつかるとは……
いずれ、何らかのかたちで志貴さまと接触するとは思っていましたが、
まさかこのようなかたちになるとは思いもよりませんでした。
あ、夢魔としては別です。
現実の世界で、という意味です。

「どこも怪我はない?」
志貴さまが再度質問されます。

「……はい、大丈夫です。
 ぶつかってしまい申し訳ございませんでした」
わたしは下を向きながらお詫びします。
上を向きたいけど向けません。
志貴さまの顔をもっと間近で見たいけど見ることはかないません
なぜなら、今、自分の顔が真っ赤になっているのがわかるからです。

「ん、大丈夫なようだね。それじゃ今度から気をつけるんだよ」
志貴さまはポンと軽くわたしの頭に手を置くと、優しく注意して秋葉さんと街の方面へ歩いていきました。





…………ポゥ
わたしは志貴さまの後ろ姿を眺めます。
志貴さまと言葉を交わしてしまった……
もう、ドキドキです。
志貴さまになでられた感触、志貴さまがわたしに微笑んでくださった時の笑顔、忘れません。

……未だに胸がドキドキしています。
まだ顔がほてっているのがわかります。
もしかして……これが恋?

志貴さま、わたしは志貴さまに恋してしまったのでしょうか……



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6月3日(日) 午後 後半

……ハッ、このままボーとしていたら志貴さまを見失ってしまいます。
アルクェイドさまの指示通り、志貴さまを見張らないといけません。
路地裏に隠れて、人目がないのを確認。
黒猫の姿になって、急いで志貴さまたちを追いかけます。


あ、いた。
いました、志貴さまたちを見つけました。
いま、志貴さまは秋葉さんと一緒に街を歩かれています。
秋葉さん、すごく幸せそうです。
もう見てわかるぐらいに顔が幸せで笑みくずれています。

もっと近づきましょう。
お二人の会話がわかるぐらいに。


「兄さん、これから、どこへ行きましょうか?」
秋葉さんが志貴さまに尋ねます。

「そうだね。うーん、どこへ行こうかー」
志貴さまが秋葉さんに答えます。

「秋葉はどこへ行きたい?」
志貴さま、秋葉さんに逆に尋ねます。

「わ、わたしですか……
 わたしは特に……
 に、兄さんが行きたい場所にならどこへでもついていきます」
秋葉さん、顔を真っ赤にして志貴さまに一任します。

「秋葉。琥珀さんも言っていたじゃないか。
 「どこへでもついていく」なんて女の子が軽々しく言う内容ではない≠チて。
 行く場所全てを男に任すなんていう発言は危険だと思うぞ、俺は」
志貴さま、朝のやりとりを思い出して笑いながら秋葉さんをたしなめます。

「……では、こちらから逆に伺いますが、
 兄さんはわたしをそんないかがわしい場所に連れて行くつもりだったのですか?」
秋葉さん、笑みを浮かべて反撃。

「そんなことはないけどさ、いつか秋葉にも彼氏が出来て
 彼氏に一任なんてしたら、大変なことになるかもしれないじゃないか。
 だからさ、今のうちにそういう考えをやめさせようと思ってね」
志貴さま、お兄ちゃんしています。
兄として秋葉さんを教育しようとしています。

「むー」
秋葉さん、志貴さまの言葉を聞いて、頬を膨らましてます。
なにか、志貴さまの言葉が気に入らなかったご様子。

「うん、どうしたの、秋葉?」

「なんでもありません!」


秋葉さんが志貴さまをおいてスタスタ先に歩いていってしまいます。

「兄さん、どこへ行くのですか」
秋葉さん、志貴さまを振り返り、行く場所について聞いています。
こころなしか先ほどより口調が荒くなっています。
志貴さまは秋葉さんが何故いきなり怒り出したのかわからず、
とりあえず小走りに走って追いつきます。

「じゃ、適当に街を歩くか」
志貴さまはそう言って秋葉さんの隣まで進みます。

あ、秋葉さん、顔を赤らめてます。
隣に来るだけで真っ赤になるなんて純情なんですね、秋葉さん。



お二人は肩を並べて街を歩いていきます。
途中途中でショーウィンドウに飾られた服を見たりして楽しんでいます。

しばらく歩いてから、急に秋葉さんが立ち止まりました。
そして真っ赤な顔をしてモジモジしながら志貴さまにお願いしています。
「あ、あの、兄さん……
 腕を組んでもよろしいでしょうか……」

「え、あ、ああ、いいけども……」
志貴さまが了承されると、秋葉さんはそっと志貴さまの腕をお取りになって
自分の胸に抱え込みます。

志貴さま、真っ赤です。
秋葉さんも真っ赤ですけど、それはそれは嬉しそうな笑顔です。




そんな幸せそうなお二人を眺めていると、不意に後ろから声が聞こえてきました。

「むー。志貴めー。いもーとと腕なんか組んじゃってー」

来ました、やっと来ました。
我がご主人アルクェイドさまのご登場です。
ちょうどお二人が腕を組んだところを目撃したようで気分を害されてます。

「いもーと、ずるいー。私も志貴と腕を組むー」
あ、なんかアルクェイドさまが壊れかけてます。
無茶苦茶ことを言い始めました。

そんなことを言っているうちに二人はまた移動しています。
その後ろを距離を置いてつける金髪の美女と黒猫。
ほかの人間にはどう見えているのでしょう。

「むーどうやって邪魔しようかなー」
アルクェイドさまが不穏なことを言い始めました。
志貴さまと秋葉さんのデートの邪魔をしようとなにやら考え始めたようです。

周りに聞かれてないのを確認して、アルクェイドさまに注意します。
「アルクェイドさま、志貴さまにデートを邪魔したのがバレてしまうと
 怒られるかと思います。
 ここはシエルさんか誰かに邪魔していただくのが一番かと……」

「シエルにはね、ここに来る途中、寄っていっていちおー言ったんだー。
 そうしたら、先々週、秋葉さんにデートの邪魔をされたから
 仕返ししたい気持ちではあるけど、今度、遠野君とデートできるので
 我慢しちゃいます≠セって。
 シエルも志貴とデートするんだよ、ずるいよねー」
ぷぅーとふくれた顔をされてアルクェイドさまが拗ねています。
しかしデートするのがずるいと言われても、
先週に志貴さまとデートされていませんでしたっけ、マイマスター……

「それはそれ、これはこれ」
………………それは無茶苦茶です、アルクェイドさま。


とりあえずそのまま様子を見ることにしました。
アルクェイドさまは今すぐにでも飛び出していきたいようですけど
お止めしています。

さて、少し整理しましょう。
シエルさんは邪魔をしない。翡翠さん・琥珀さんも邪魔をしないでしょう。
もし邪魔をしてくれそうな人と言ったら、あとは弓塚さんぐらいでしょうか。
といってもあの方が邪魔をするとも思えませんが。



あ、アルクェイドさまがぷるぷる震えています。
小刻みに体を震わし、何かに耐えています。

「もう、我慢できな……」
「あ、志貴君の知り合いの金髪のお姉さんだー」

と、その時、突然後ろから声をかけられました。
アルクェイドさまは爆発寸前のところでぎりぎりストップ。

いったい、誰が声をかけてきたのでしょう。
わたしとアルクェイドさまが振り返ると
そこには、アルクェイドさま唯一の希望、弓塚さんがいました。

「えっと、アルクェイドさんでしたっけ? 志貴君の知り合いの……」
弓塚さんは人なつっこい笑顔で話しかけてきます。

「えぇ、そうだけど……
 えっと、貴方は志貴のクラスメートの弓塚さんでしたっけ?」

「ええ、弓塚さつきです。こんにちはー」

「えと、こんにちは……」

アルクェイドさま、弓塚さんに挨拶されて、なにか毒気が抜けたようです。
さきほどまでの勢いがなくなりつつあります。

「こんなところでこそこそ隠れるようにして、なにをやってるんですか?」

純真な表情で弓塚さんは聞いてきます。

アルクェイドさまは苦笑いをして、志貴さまと秋葉さんを指さします。
「ほら、あそこ。志貴といもーとがデートしているからちょっと邪魔をしようかなーな」

弓塚さんはそこで初めて志貴さまに気づいたらしく。


「あ、志貴君だ。遠野くーん!」

いきなり大きな声で志貴さまに声をかけてしまう弓塚さん。
手までブンブン振ってしまい、もう大変。
アルクェイドさまは大慌て。
まさか、弓塚さんが志貴さまに声をかけるなんて思ってもいませんでした。
これでデートの邪魔も何もかもがパーです。


「あれ、弓塚さんにアルクェイドじゃないか。どうしたの?」
志貴さまが秋葉さんと二人してこちらに来ました。
相変わらず腕は組んだまま。

「とおの……志貴君、こんにちはー」
弓塚さんは志貴さまのことをいつも遠野君≠ニ呼んでいましたが
今日は名前の方で呼んでいます。
ちょっと照れながら、ぎこちなく志貴君≠ニ呼んでいるのが初々しいです。

「こんにちは、弓塚さん。
 弓塚さんってアルクェイドと知り合いだったの?」
志貴さまが不思議そうに弓塚さんに尋ねます。
志貴さまの疑問はもっともです。
アルクェイドさまと弓塚さんの組み合わせは異色です。
というか、接点がないのに、いつ知り合ったのか志貴さまでなくても疑問に思うところでしょう。

「この前、志貴君と一緒に帰ったときに、校門前で会ったじゃない」
弓塚さんが志貴さまに思い出させるように説明します。

「あ、あぁ、そういえば、あそこで会ったんだよね。
 にしても、休日に会うほど親しくはなかったと思ったけど」

「それは偶然よ、志貴君。
 歩いていたらたまたまアルクェイドさんがいたので
 勇気を出して声をかけたの。
 ね、アルクェイドさん!」

弓塚さんはアルクェイドさまに声をかけます。
傷心のマイマスター、「えぇ」とボソボソと返事をします。

「どうしたの、アルクェイド。元気ないなー」
アルクェイドさまがいつものノリではないので、志貴さまが心配しています。

「んー、そんなことないわよ。元気元気」
アルクェイドさま、痛々しいです。
ニパッと笑みを浮かべて志貴さまを心配させないようにしています。

「……だったらいいけど……」
志貴さまが再度アルクェイドさまに声をかけようとしたら、
「兄さん、もう行きましょう! そんなに時間もないことですし」と
秋葉さんが怒り口調で叫んでます。

「あ、秋葉のヤツを待たせているんで……
 じゃ、弓塚さん、また明日学校で。
 アルクェイド、何があったか知らないけど、元気出せよ。
 お前が元気ないと寂しいぞ、俺は」
志貴さまはそう言って、アルクェイドさまの頭にスッと手を伸ばして
軽くくしゃっとなでます。

「じゃあな、アルクェイド。
 弓塚さん、アルクェイドのことよろしくー」

そう言って、志貴さまは秋葉さんの元へ小走りに戻ります。
先ほど、頭をなでた行為が密かに秋葉さんの髪を赤っぽくしているのは
ここだけの話。

「じゃーねー志貴君。明日学校でー」
弓塚さんが元気よくさよならの挨拶をしています。
アルクェイドさまは志貴さまに頭をなでられたことにより撃沈。
心ここにあらずです。



「あーあ、志貴君、行っちゃったー」
残念そうに弓塚さんがぼやいています。
志貴さまは秋葉さまとのデートに戻られ、すでにここから見えません。

「アルクェイドさん、いつまでもここにいてもしょうがないから帰りません?」
アルクェイドさまに呼びかける弓塚さん。

しかし、アルクェイドさまは未だ起動せず。
頬に手をやってボーとしています。

「いいなぁ、私も志貴君になでられたいなぁ」
弓塚さんが羨ましそうにアルクェイドさんを見つめます。

いつまでもいつまでも志貴さまが行かれた方向を見つめるアルクェイドさま。
いったい、頭の中で何を想っていられるのでしょうか。

「じゃあ、わたしはこれで。またね、アルクェイドさん」
弓塚さんはいつまでも復帰しないアルクェイドさまを置いて帰られました。
あとはアルクェイドさまとわたしのみ。

弓塚さんが充分離れたのを確認して、マスターに声をかけます。

「アルクェイドさま。いつまでも立っていると不審に思われていまいますので
 そろそろここから去った方がよろしいかと」

アルクェイドさまはようやく現実に戻ってきて
「……ああ、そうね、戻りましょうか、レン」
と言って、マンションの方向へ足を進めます。

「どういたしましょうか、引き続き志貴さまを見張りますか?」
わたしはアルクェイドさまにお聞きします。
それには、いま、秋葉さんとデートしている志貴さまを捜さないといけませんが。

「いいわ、今回は。また明日から見張りをお願い」
びっくりしたことにアルクェイドさまは今回の件は見逃すようです。

「いいんですか?」

「いいわ。今日のところはね」

アルクェイドさまが珍しく引き下がりました。
弓塚さんの狙ったかのような行動と志貴さまの絶妙な行為により
やる気がそがれたようです。

「じゃ、帰りましょうか、レン」
そう言ってアルクェイドさまはそのまま帰られます。
わたしもアルクェイドさまの後ろをついていきます。



志貴さま、今回はデートの時に何も起こらないです。
どうぞごゆっくり楽しみ下さい。
また、明日から見張らせていただきますが、
そのときはよろしくお願いしますね。
それでは、また明日。



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6月4日(月)

今日は志貴さまのことをシエルさんが迎えに来ています。

「ただいま志貴さまは朝食を召し上がっている最中ですので
 もう少しお待ちいただけますか」
応対に出た翡翠さんがシエルさんに待っていただきます。

「わかりました。ここで遠野君を待っています」
シエルさんは明るくにこやかな顔をして返事をすると、玄関から空を見つめます。

今日はいい天気です。
澄み切った空を見てシエルさんは何を想っているのでしょう。


しばらくすると、玄関から足音が。
シエルさんは振り返り、玄関から出てくる人を迎えます。

「あ、秋葉さん。おはようございます」
玄関から出てきたのは秋葉さんでした。
シエルさんはちょっと残念そうな顔をすると、秋葉さんに挨拶します。

「おはようございます、シエルさん。
 今日はいい天気ですね」
秋葉さんも挨拶を返します。

「……ん?」
シエルさんが眉をひそめます。
いつもでしたら、犬猿の仲である秋葉さんがシエルさんに対して嫌みの一つも言うのですが、
今日はそれがありません。
あまつさえ、世間話を振るなんてことは今まで一度もありませんでした。

「遠野君はご飯ですか?」

「えぇ、兄さんは朝食を食べています。
 兄さんと学校に行くのでしたらもう少しお待ちになっていて下さい」

シエルさん、ますます疑わしい顔になっています。
普段の秋葉さんでしたら「一人で学校へ行けばよろしいのでは」とか
「兄さんとあまり関わらないで下さい」とかのことを平気で言うのに、
今日は極めて普通のことを言っています。
何か腑に落ちないようです。

「…………秋葉さん、昨日何かあったのですか?特に遠野君と」
シエルさん、さすがにするどいです。
秋葉さんの機嫌がいいのは志貴さま絡みで何かあったのだなと
雰囲気から察したようです。
……ってあれ、昨日の件はアルクェイドさまから聞いているはずなのに。
どうやら知らないふりをしているようです。

「……兄さんと? いえ特に何もないですよ」
秋葉さんはちょっと顔を赤くしながら、否定します。

そんな秋葉さんの様子をじっと見つめて、
「いえ、秋葉さん、やたら機嫌が良さそうなので……
 遠野君と何かあったのだろう、と思いまして」
とシエルさん。

「あーそうそう。そういえば、昨日は遠野君とお出かけしていたんですって。
 アルクェイドがそんなことを言っていましたね」
口を割らない秋葉さんに続けざまに畳みかけていくシエルさん。

秋葉さん、顔がボンという音を立てたかのように真っ赤になって、
「ええ、兄と一緒に街を歩いていました」
とだけ答えます。

「そうですか、それでそんなに機嫌がよいのですね。
 普段と違うので不思議だったのですけど、やっと納得がいきました」
シエルさんは表面上はにこにこ顔で秋葉さんにそんなことを言っています。

「秋葉さま、もうそろそろお時間の方が」
琥珀さんが秋葉さんに進言します。

「ああ、そうですね。それでは琥珀行きます」
秋葉さんはそう言って車に乗り込みます。

「では失礼いたします、シエルさん」
秋葉さんは赤い顔のまま、車の中からシエルさんに挨拶して学校へ行きました。

シエルさんは引き続き玄関前で志貴さまのことを待っています。
まじめな顔つきで何か考えている様子。

しばらく待っていると、やっと志貴さんが出てきました。
翡翠さんが鞄を持って門まで見送るようです。

「先輩、おはようございます。
 待たせてすいませんッス」
志貴さまが挨拶をして謝ります。

「いえいえ、こちらが早く来てしまっただけですから。
 気になさらないでください」
シエルさんはにこにこ顔で志貴さまに言います。

「じゃ、翡翠行って来ます。
 今日はいつも通りの時間に帰ってこれると思う」

「わかりました。それではその時間にお待ちしております。
 いってらっしゃいませ、志貴さま」
翡翠さんは深々と頭を下げて、自分の主人を見送ります。

「じゃ、行って来まーす」
志貴さまは翡翠さんに声をかけてシエルさんと学校へ向かいました。



二人で学校までトコトコ歩きます。
坂を下りて、学校までの道を仲良く肩を並べて歩いていましたら、
急にシエルさんが志貴さまに呼びかけます。

「そうだ、遠野君。一つお聞きしたいことがあるのですが」

「なに、先輩。俺に聞きたい事って?」
志貴さまは何だろうなという顔をして、シエルさんの次の質問を待っています。

「えっとですね。昨日、秋葉さんとデートしていたのですか?」
シエルさん、直球。
志貴さま、ちょっと顔を赤らめて、頷きます。

「やはり、そうですか。
 今日の朝、秋葉さんの機嫌が良かったので遠野君と何かあったのかなと
 思ったのですが、当たりですね」

「うん、ちょっと秋葉と街を歩いていただけです、先輩」

「ふーん、それにしては秋葉さんが妙に機嫌がいいのですけど……
 遠野君、まさか妹さんにまで手を出したなんて事はないですよね?」

志貴さま、真っ赤。
しどろもどろになって、激しく否定します。
「そんな、手を出すなんてことはないです。妹ですよ。
 そんなことするはずないじゃないですか」

「そうですかーそれではそういうことにしておきます」
シエルさん、笑顔であっさりと引き下がりました。

「……そういうことって……何もしてませんって」
志貴さま、ブツブツ呟いていますが、シエルさんは無視。

「でも良かった。遠野君が正直に答えてくれて」

「えっ、何がですか?」

「いえ、昨日のことです。
 昨日は秋葉さんとデートしていたということを正直に答えてくれたじゃないですか。
 嘘をつかれるかな、と思ったのです」

「先輩に対して嘘は言わないよ、俺は」

「ありがとうございます」
シエルさんは一歩横に動いてぴょこっとお辞儀して話を続けます。

「実は昨日、アルクェイドが遠野君のデートのことを教えてくれたのですよ。
 どうやら、私を使って邪魔させようとしたらしいのですけど……
 でも、私は遠野君とデートの約束をしているから、
 あのアーパー吸血鬼のことは無視したのです」
シエルさんが説明します。


志貴さま、ちょっと顔色が変わっています。
どうやら正直に言って良かったと思っている様子です。

「うん、遠野君が正直に言ってくれたので嬉しかったです。
 嘘つかれたらどうしようかなーと考えていたのですよ」

志貴さま、動揺。

「そうだ、遠野君、私といつデートしてくれるのですか?
アルクェイドが学校に来たときに約束してくれましたよね」

志貴さま、さらに動揺。
どうやら忘れていたようです。

「もしかして、遠野君、忘れていたなんて言いませんよね?」
先ほどまでの笑顔はどこへやら、シエルさんがまじめな顔で質問します。

志貴さまはぎこちない笑顔で、
「い、いや、そんなことはないですよ、先輩。
 いつ出かけましょうか、ハハ」
とシエルさんに笑いかけます。

はぁー志貴さまは嘘がつけないですね、相変わらず。
それではバレバレです。

「……ひどい、楽しみにしていたのに」
シエルさん、泣きべそ。
今まで、マスターと戦ってきたシエルさんしか見ていないと
今のシエルさんにはびっくりさせられます。
こんなシエルさんは一度も見たことがないからです。


「……すいません、先輩!
 今度の日曜日に先輩の家まで誘いに行きます!!」
志貴さま、白旗。
シエルさんを今度誘いに行くと高らかに宣言しました。

「ホントですね。では楽しみに待っています」
泣いていたと思ったシエルさんがニコッと笑顔をみせます。
あれ、嘘泣きだったんですね、シエルさん。

「……先輩。もしかして今の嘘泣きですか……」

「ハイ、そうです」
にこやかにシエルさんが答えます。

「でも遠野君が忘れていて本当に悲しかったのですよ。
 だって、わたし、あれだけ楽しみにしていたのに、
 遠野君が忘れているんですもの」
シエルさんが上目遣いで志貴さまのことを睨みます。

うっ、かわいいです、シエルさん。
年上のお姉さんがこれをやると威力倍増です。
志貴さま、あっさりと撃沈。

「……先輩、ごめん」
志貴さま、シエルさんを見て再度謝ります。
上目遣いで見られて、ちょっと顔が赤くなっていますけど。



そうこうしているうちに学校へ到着しました。

「じゃ、遠野君、約束ですよー」
シエルさんは明るくにこやかに念を押します。

「わかりました、日曜日に迎えに行きます」
志貴さまもあの笑顔で微笑みます。

「じゃ、またお昼休みにー」
シエルさんは走って去っていきます。
あの笑顔を見て、顔が赤くなっていたのはご愛敬。

「じゃ、また後で」
志貴さまがそんなシエルさんを見送ります。



なんというか志貴さまも忙しい方ですね。
今度はシエルさんとデートですか。
このところ毎週誰かしらとお出かけしています。

……そのうち、わたしも……
はかない望みを胸に抱きつつ、志貴さまを見守るために場所を変えます。

……志貴さま。



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6月5日(火)

コンコン。

窓をたたく音でわたしは目が覚めました。
志貴さまの眠りを見守っていてどうやら寝てしまったようです。
眠りを見守るといっても、志貴さまの部屋の外から見守っているのですけどね。
窓越しに穏やかな寝息をたてる志貴さまを感じつつ、
木の枝の上で丸くなって寝ていました。

志貴さまの部屋の窓に影が落ちています。
誰かが窓のそばに立っているようです。
誰が志貴さまの部屋を訪れたのだろう……

今はまだ夜中です。
感覚的には午前3時頃でしょうか……

そっと音を立てないように、猫科特有のしなやかな動きで立ち上がり
遠野家に無断侵入した妖しい者を見据えます。

窓のそばに立つ者は部屋の中の気配を探っているようです。
どうやら部屋の中の主が起きたかどうか見極めようとしている様子。

無理です。
志貴さまはそんな音で目が覚めるほど浅い眠りではありません。
一度寝てしまわれると、体を最小限に動かす力でさえもったいないとばかりに
微動だにせずに深い眠りにおちいります。
そんな大きくもない音で目が覚めたことはわたしが見張りを始めてから一度もありません。

侵入者は部屋の中の主が起きなかったので、ちょっと考えているようです。
いったい、何をするつもりなのでしょう。

わたしは侵入者が誰だか見極めようと思いまして、音もなく近づきます。
月明かりに照らされて、影が落ちるなか、ゆっくりと。



……あれ。もしかしてアルクェイドさまではないでしょうか。
なんとなくアルクェイドさまのような気がします。
格好がいつもと違って、黒系の服を着ているので、自信がありませんが。

とりあえず声をかけてみましょう。
「にゃー」

いきなり、この格好で人間の言葉をしゃべったら、びっくりさせてしまいますので
格好通りの猫の鳴き声で声をかけます。

「あ、レン、いたんだ」
ああ、やはりアルクェイドさまです。
アルクェイドさまはどうやら用事があって志貴さまの部屋に忍び込もうとしているようです。
しかし、いたんだ≠ヘないかと。
志貴さまの見張りを命じたのはアルクェイドさまご本人ではないですか。

「ごめーん、気づかなかった。ちゃんと志貴のことを見張っているようね。うんうん」
アルクェイドさまはわたしがちゃんと命じられた仕事をしていることに満足されてます。

「どうかされたのですか、アルクェイドさま」
好奇心からマスターに質問します。

「さすがにこの時間は人間にとって訪れる時間ではありません、マイマスター。
 思うに志貴さまは睡眠中かと」
さすがにシエルさんや秋葉さんから常識はずれと言われているご主人様でも
このぐらいの常識はご存じですよね。

「わかっているわよ、それぐらい。
 今日は志貴と一緒に寝ようと思ってさー。へへー」
なるほど。
だからその手にいつも使われている枕をお持ちなのですね。
しかし……
わたしはニコニコしているアルクェイドさまを見て、思います。
なんて羨ましいことをしようとしているのでしょう、我がご主人は。
出来れば、わたしも混ぜていただきたいぐらいです。

「じゃあ、わたしは志貴のところに行くから。
 引き続き見張りよろしくねー」

ああ、やっぱし。
もしかしたら一緒に寝させてくれるかなと一瞬思ったのですが
甘かったです。
我がご主人がそんなことを言うはずもなく。
一人でトントンと木を駆け登ります。

わたしはアルクェイドさまが窓から侵入するのを見守ります。
窓を開け、そろりと志貴さまの部屋に入っていきます。

「じゃあ、あとはよろしく」

「かしこまりました、ご主人様」
わたしはそう言って、アルクェイドさまを見送ります。



朝、どんなことになるのでしょう。
また、いつものドタバタ劇になりそうです。
翡翠さんがお怒りになって、秋葉さんもお怒りになり。
琥珀さんはアハハと笑っているだけで。

願わくは志貴さまに何も被害がございませんように……
わたしは祈るのみです。



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6月6日(水)

志貴さまが学校へ行く途中、弓塚さんに偶然会いました。

「志貴君、おはようー」
弓塚さんが嬉しそうな顔をして近寄ってきます。

「あ、弓塚さん、おはよう」
志貴さまも笑顔で挨拶を交わします。

「志貴君、今日は早いね」
弓塚さん、嬉しそうです。


わたしが見張りを始めてから、志貴さまが弓塚さんと一緒に学校へ行ったことがありません。
たいてい、志貴さまがぎりぎりで登校されるので、弓塚さんと会う機会がないのです。
早い場合もありますけど、そういう時はたいていアルクェイドさまかシエルさんが一緒にいるので、
弓塚さんは寂しそうに離れて後ろを歩いているというパターンがほとんどです。


今日の弓塚さんはずいぶんニコニコしています。
顔中に笑みを広げて
「今日は占いが当たったかな」
なんて、呟いています。

「え、占い?」
志貴さまが弓塚さんの呟きを聞きとがめます。

「ええ、テレビでやっている朝の占い。
 今日はいいことがあるって占いに出てたのよ。
 実際に志貴君に会えたし、当たったな、なんてね!」

「へぇ、俺と会うことが弓塚さんにとっていいことなんだ。
 なんか、照れるね。
 ……ありがとう」
志貴さま、赤くなりつつも例のにこやかな笑顔で弓塚さんに微笑みます。
弓塚さん、間近で見て真っ赤。

「……ごめんね。志貴君。
 一人で勝手なことばかり言って」
弓塚さんは下を向いて、ボソボソと謝ります。

それを見た、志貴さま。
ちょっと怒った風な口調で、
「なんで謝るの。俺で良ければね、構わないさ」
と弓塚さんに元気づけようとします。

「……ありがとう、志貴君」
弓塚さんは志貴さまのそんな気持ちが伝わったらしく、
顔を上げて嬉しそうに志貴さまのことを見上げます。

「……ねぇ、志貴君。学校まで一緒に行かない?」
弓塚さんは恥ずかしそうにモジモジしながら志貴さまのことを誘います。

「一緒に行くも何も、今そのつもりで歩いていたんだけど」
志貴さま、苦笑い。
弓塚さん、またもや真っ赤。

「……家が近くだから、一緒に学校へ行ってもおかしくないよね!
 うん、一緒に行こう、志貴君!」
弓塚さんは志貴さまの言葉を聞くと、妙に弾んだ声を上げて志貴さまの隣を歩きます。



お二人はいろんなことを話しながら歩いていきます。
学校のこと、家でのことなど。
こうして離れて見ていると二人はお似合いのカップルです。
初々しく、見ていて自然と笑顔がこぼれてしまう。
そんな仲睦まじいカップルに見えるのです。
……ってそんなこと思っているのがアルクェイドさまにバレたら
怒られてしまいますが。



あ、学校が見えてきました。
弓塚さんの幸せな一時は終わろうとしています。
ちょっと寂しそうな顔をして弓塚さんは志貴さまを見つめます。

「どうしたの、弓塚さん?」

「ん、今日は志貴君と一緒に登校できて良かったなって。
 また、一緒に来ようね、志貴君」
真っ赤な顔で弓塚さんは志貴さまから視線をはずさず
勇気を持って告白しました。

「ん……。
 早く起きられたらね」
志貴さま、一瞬、真顔になりましたが、すぐに苦笑い。
早起きすることは無理だということを今までの経験からわかっているので
弓塚さんと約束はしないようです。

弓塚さんもその辺りはわかっているらしく
「うん、早く起きたときでいいから……その時はね!」
と無理強いはしません。

そんな弓塚さんをまぶしそうに見つめて
「出来るだけ早起きするように努力するから、
 一緒に行けそうなときはよろしくね、弓塚さん」
と志貴さまは弓塚さんに約束します。



弓塚さんも積極的に志貴さまにアタックしています。
志貴さまもまんざらでない様子。
志貴さまは相変わらず自分の発言の影響力をご存じでありません。
これで弓塚さんも志貴さま争奪戦に参戦です。
いったいこれからどうなるのでしょう。

頑張ってください、志貴さま。
わたしは影から見守っています。



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6月7日(木)

志貴さまが一人で学校から帰ろうとしましたら、
正門の前に金髪の美女が立っていました。

言わずとしれたアルクェイドさまです。
金髪の髪をなびかせて、学校から出てくる生徒を眺めています。
どうやら、志貴さまのことを待っている様子。

あ、志貴さまに気づいたようです。
こちらに向かって手をブンブン振っています。

「おーい、志貴ー 迎えに来たよー」
相変わらずです、ご主人様は。
なんていうか志貴さま風に言わせると「脳天気」に声をかけてきます。
ちなみにシエルさん風に言うと「アーパー」らしいですが。

「よぉ、アルクェイド。今日はどうしたんだ」
志貴さまがアルクェイドさまに近寄ります。

こうして見てみると我がご主人様は相変わらず目立ちます。
下校中の他の生徒の目が痛いです。
志貴さまを見てみるとあまり気にしていない様子。
このごろの志貴さまはそのあたりにこだわられなくなっているようです。

「学校終わったんだよね、遊びに行こうー」
アルクェイドさまが志貴さまを遊びに誘います。

「今から? 今日は翡翠に早く帰ると言ったからなぁ」
志貴さま、今日は乗り気ではありません。

「むー いいじゃん、別にー。遊びにいこーよ」
アルクェイドさまは志貴さまの前では駄々っ子です。
ご自分の希望が通らないから、バタバタ暴れてます。

「とりあえず帰りながら決めよう、一緒に帰ろうぜ、アルクェイド」
志貴さまもさすがにバタバタ暴れるアルクェイドさまを見て世間体を考えた様子。
この場を離れようとしています。

「うんっ、一緒に帰ろう、志貴!」
アルクェイドさまは志貴さまと一緒に帰れるのでニコニコです。
ホント、ご主人様はお変わりになりました。
好きな方が出来てここまで変わるとはびっくりです。

二人仲良く歩かれる志貴さまとアルクェイドさま。
腕を組もうとするアルクェイドさまに拒む志貴さま。
なにか腕組みをめぐって争っています。

「いいじゃん、腕組むぐらい。志貴のケチー」
アルクェイドさまはブーブー抗議しています。

「いいか、アルクェイド。学校帰りなのだからすこしは慎め。
 別に今腕組まなくてもいいだろ」
志貴さまは必死に説得しようと頑張っていますが……

「えーいいじゃん、志貴ー。腕の一本や二本ぐらい」
……駄々っ子です、ご主人様。
あ、志貴さまも困った顔をしています。
なんというか、あきれている様子です。

「……しょうがないな、アルクェイド。
 ほれ、腕組もうか」
志貴さま、根負けです。
アルクェイドさまに腕を差し出します。

「へへー」
アルクェイドさまは嬉しそうに志貴さまと腕を組みます。
この前のデートの時と同じように、ふくよかな胸が志貴さまの腕に当たって
志貴さま真っ赤です。


しばらく一緒に歩いていたら、急に志貴さまが「あー」と大きな声を上げます。

「どうしたの、志貴?」
アルクェイドさまが心配そうに尋ねてます。

「そうだ、アルクェイドに聞きたいことがあったんだ。
 おまえ、先輩に秋葉とのデートをしゃべったんだって。
 たく、どこで秋葉と出かけるなんて情報を仕入れてきたんだよ?」
志貴さまが思いだしたかのようにアルクェイドさまを問いつめます。

「へへー」
ご主人様、苦笑い。
とりあえず笑ってごまかそうとしています。。

「へへーじゃないよ、たく。先輩から聞いたけど邪魔しようと思ったんだって?」
志貴さま、ちょっとあきれ気味。

「むーシエルのヤツ、余計なことまでしゃべってー」
アルクェイドさまが怒ってます。
ですけど、それはお門違いです。
どちらかと言ったら怒られるのはアルクェイドさまの方かと。

「お前が言うな、お前が」
志貴さまがツッコミつつ、アルクェイドの頬を引っ張ります。

「いたい、いたいよーしきー」
アルクェイドさま、大きな声で痛がっています。

「ばか、当たり前だ、わざと痛くしているんだから」
志貴さまはそう言って、ため息をつきます。

「まったくもう。どこで見られているかわかったもんじゃないな、アルクェイドには」

ドキッ。
志貴さまの発言にちょっと緊張。
わたしのことはまだ志貴さまにバレておりませんが、もしかして怪しまれているでしょうか。
いつもいつも志貴さまを見守っていますし。
黒猫の姿以外化けませんので……

アルクェイドさまはそっぽを向いて口笛なぞ吹いています。
ごまかそうとしている魂胆が見え見えです。
そんなマスターを見て志貴さまは再度ため息をつきました。

「しょうがないなーアルクェイドは」

「へへへー」
そう言ってアルクェイドさまはますますギュッと志貴さまにくっつきます。
志貴さま、前より真っ赤です。



二人はじゃれ合いながら帰ります。
端から見ていると、学生と外人のカップルで一見奇異に見えますが、
その幸せそうな笑顔を見ていると、見ている方も幸せな気持ちになってきます。



どうかいつまでも仲良くしてやってください、志貴さま……



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6月8日(金)

遠野家の敷地内……
大きな洋館がそびえ立つなか、わたしは木の枝の上にいます。
そこは志貴さまの部屋が見える場所。
ここでわたしは志貴さまのことを見つめます。
ベッドの上で身じろぎひとつせずに深い眠りについている志貴さまを。

血の気のない人形のような白い頬。
穏やかな……ともすれば死んでしまったのではと思わせるその寝顔。
けど、幸せそうに笑みを浮かべるその口元が生きていると確信させる―――

眠りながら志貴さまは何を夢見ていらっしゃるのでしょう……



このごろ眠っている志貴さまを見ていると、わたしは色々なことを考えてしまいます。
あの日、志貴さまにぶつかってからずっと。

日曜日に志貴さまと初接触して以来、わたしの中で何かが芽生えました。
それがなんなのかはよくわかりません。
初めてのことなので、それを何と説明したらいいのかわからないのです。

人間の気持ちで「恋」というものが存在するのは知っています。
あの時、「これが恋?」と思いましたが、いま考えると自信がありません。
何故なら、わたしはそこまで人間の感情に通じておりませんので。

誰かに聞けばわかるのだろうけども、誰に聞けばいいのでしょう。
アルクェイドさまは……ダメです、何となく聞いてはいけない気がします。
シエルさんは……仮にもマスターの敵である方です、いけません。
秋葉さんや翡翠さん、琥珀さん……そんなことを聞けるほど親しいわけではありません。
その前に、だいたい交流をもったことすらありません。

わたしはこの自分の中のわき上がる不可思議な感情に悩まされます。
志貴さまのことを考えると、わき上がってくる不思議な感情に。


「はぁ……」
わたしはため息をつきます。
誰にも聞けないこの気持ちのことを考えるとついついため息が出てしまいます。
いったいわたしはどうしたのでしょう。

そんなことを考えながら、わたしは志貴さまを見つめ続けます。
志貴さまがお目覚めになるまでずっと……



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6月9日(土)

シエルさんと志貴さまが一緒に登校しています。

「ふふふ」
シエルさんが志貴さまの隣で嬉しそうに笑っています。

「どうしたのですか、先輩。何かいいことでもあったのですか?」
志貴さまがシエルさんの笑顔を見て、にこやかに笑いかけます。

「ふふふ」
シエルさんはそれに答えず、鞄を両手で持ち下げて
クルッとスカートをなびかせながら、志貴さまに微笑みます。

「どーしたんすか、先輩。
 よほどいいことでもあったんですか?」
志貴さまが嬉しそうに話しかけます。
シエルさんの明るい笑顔を見て、つられるようにニコニコしています。

「ええ、それはもう。
 起きたのではなくて、これから起きるのですけどね」
シエルさんが志貴さまの疑問に答えます。

「……これから起きる……。
 先輩、何が起きるのですか」
志貴さまが興味津々に尋ねます。

「遠野君、明日ですよ、明日」
シエルさんは今にも踊り出しそうなぐらいの調子で志貴さまを
下から見上げます。

「……明日。
 明日って日曜日ですよね。
 何かありましたっけ?」
志貴さまがホントにわからない感じでシエルさんに聞き返します。

わたしはシエルさんが何故そんなに嬉しそうなのか想像できます。
そしてこれから起こることも十分に予想できます。
……志貴さま、その質問はあんまりにもシエルさんがかわいそうですよ。
ほら、見る見るうちにシエルさんの顔が変わっていく……

「……遠野君。
 ホントに明日何があるかわからないのですか?」
シエルさんがまじめな顔つきで志貴さまに質問します。

「……えっ。
 えーと明日はなにがあるんでしたっけ?」

墓穴。
志貴さま、今の発言で完全にシエルさんを怒らせたかと。

「ひどいっ!
 ひどいです、遠野君!!
 明日はわたしとデートしてくれる約束だったじゃないですか!」
シエルさん、本気で怒っています。
なんか、雰囲気がエクソシストの時のようなんですけど……

志貴さま、真っ青。
本気で忘れていたようです、明日のデートのことを。


「い、いや、やだなぁ、先輩。ちゃんと覚えてますよ」
志貴さま、無駄なあがき。


じーっと志貴さまを見つめるシエルさん。

じーっ。

じーっ。



そのうちその視線に耐えかねたように下を向き
「すいません、忘れていました」
と正直に謝る志貴さま。

「あれだけ、楽しみにしていたのに、遠野君はひどい人です。
 忘れるなんて」
シエルさんはかなり怒っています。

それはそうでしょう。
この前のデートは秋葉さんに邪魔をされて、
次にデートに誘ったときはアルクェイドさまを優先されて。
やっと約束したと思ったら、今日で二回目です、志貴さまがシエルさんとのデートを忘れたのは。
これはシエルさんでなくても怒ります。
志貴さま、ちょっと女の子に対して失礼です。


「ごめんなさい、シエル先輩!」
平謝りに謝る志貴さま。
まあ、当然です、ここまでのことをすれば。



「んー本当に悪いと思ってます?」

「ホントに悪いと思ってます、先輩」

「もう約束は忘れない?」

「忘れません、何があっても覚えてます」

「……カレーでいいです」

「は?」

「カレーで手を打ちます。
 おいしいカレーを食べさせてくれたらそれで手を打ちます」

シエルさんがそっぽを向きながら、志貴さまを許します。
カレーというところがシエルさんらしいですけど。

志貴さまは一瞬あっけにとられた顔をしましたが、
カレー≠ニいう言葉にクスッと笑ってます。

そして
「わかりました、おいしいカレーをおごりますので許してください」
と再度謝りました。

「絶対ですよ、遠野君。
 おいしいカレーでなければ許しませんよ」

「ええ、おいしいカレーですね。
 わかりました」

「では許しちゃいます」
シエルさんはニコッと微笑み、元のシエルさんに戻りました。



これで志貴さまとシエルさんは仲直りです。
カレーで許すのがシエルさんらしいです。

明日がデートの日。
志貴さまとシエルさんは明日の待ち合わせ場所等を
話し合っています。
本当にシエルさんは嬉しそうです。

そうして二人は学校の正門をくぐります。

明日はどうなるでしょう。
アルクェイドさまはシエルさんが志貴さまとデートをするのは知っていますが
日付までは知らないはずです。
やはり、邪魔にはいるのでしょうか。
一応、報告しなければいけません。

頑張ってください、志貴さま……



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6月10日(日) 午前

今日は志貴さまとシエルさんのデートの日。
前回は秋葉さんが邪魔をしましたが、今回はどうなるでしょう。


今日はもうすでにアルクェイドさまに
志貴さまとシエルさんのデートの件は報告しております。
先ほど、アルクェイドさまのマンションから帰ってきたところです。
先週、志貴さまとぶつかってしまうというミスを犯してしまったので
今週は早めに行動しておきました。

志貴さまとシエルさんの待ち合わせは昼過ぎ。
志貴さまはゆっくり起きるはずですので、寝てる間に報告したのは
どうやら正解だったようです。

ちょうど、志貴さまが居間に入っていくのが見えます。



「おはよう、秋葉」
志貴さまは居間で紅茶を飲んでいる秋葉さんに朝の挨拶をします。

「おはようございます、兄さん。
 もう11時ですよ」
秋葉さんはちょっとあきれた顔をしながら笑顔で応えます。

「んー。まあ、日曜日だから」
志貴さまは苦笑いして秋葉さんの前に座ります。

「兄さん、今日のご予定は?」
秋葉さんが志貴さまに紅茶を注ぎながら、
期待のこもった目で志貴さまを見上げます。

「うん、今日の予定?
 今日は午後から出かけるつもりだけど」
志貴さまは秋葉さんの注いでくれた紅茶をおいしそうに飲みながら
なるべく差し障りのないように答えます。

「どなたとですか」
秋葉さん、逃がしません。
ティーカップを手に持ちながら、
志貴さまをまっすぐに見据えて聞いてきます。
志貴さまが誰と出かけるか知りたい様子。

「んー、先輩とだよ」
志貴さま、秋葉さんの視線に負けたかのように、
目をそらし、嘘をつくこともせず正直に答えます。

「兄さん、まだシエル先輩とやらと付き合っていたのですか」
秋葉さんはため息をつきました。

「付き合っているとかいうわけでもないけど……
 一緒に昼飯食べたりする仲かな」
ちょっと赤くなっている志貴さま。

「ハアー」
秋葉さんはため息をつきました。

「せっかくの日曜日なのに兄さんと過ごせないのですね、私は。
 かわいい妹を家に置いて、兄さんはシエルさんと出かける、と」
上目遣いに志貴さまを見上げて、プレッシャーをかける秋葉さん。
うっ、それはかなりかわいいですよ。

案の定、志貴さまは真っ赤になって目を背けます。
そして
「ごめんな、秋葉。
 この埋め合わせは必ずするから」
と秋葉さんと約束します。

「本当ですか、兄さん?」

「ああ、約束する。いつになるかわからないけどな」
志貴さまがあの笑顔で秋葉さんに笑いかけました。

間近で破壊力抜群のあの笑顔を見た秋葉さん、
ボーとしています。



志貴さまが続けます。
「だから、秋葉。今日はこの前みたいに邪魔するなよ」

違う世界にトリップしていた秋葉さん、今の言葉を聞いて
一瞬にして血の気が引き、こちら側に戻ってきました。

「……あ、え……
 気づいていたのですか、兄さん?」

「当たり前だ。
 この前の先輩とのデートの時にお前が邪魔をしていたのには気づいていたさ。
 シエル先輩も気づいていただろうけど、たぶん秋葉だから遠慮したんだろうな。
 先輩が我慢していたから俺もコトを荒げたくなくて黙っていたんだよ」

志貴さまが秋葉さんに説明します。


「う……すいませんでした、兄さん」
秋葉さんがぺこっと頭を下げて謝ります。

「ま、過ぎたことだから仕方ないけど、もうあんな真似すんなよ」
志貴さまが二人の間に流れてる雰囲気を流すように
笑いながら、秋葉さんの肩を叩きます。


「さっきも約束したけど、この埋め合わせは必ずするから。
 だから今日は先輩の邪魔をしないでくれ」

「……はい。約束します、兄さん……」
秋葉さんが恋する女の子になって志貴さまに返事をします。



「志貴さーん、ご飯が出来ましたー」
ちょうどのタイミングで琥珀さんが食堂から声をかけてきます。

「おっ、ちょうど朝飯か。
 じゃ食べてくるかな」
志貴さまはそう言って立ち上がりました。

「じゃ、秋葉、約束だぞ」
食堂へ向かう前に秋葉さんに一言声をかけます。

「はい、わかりました」
秋葉さんは真っ赤な顔のまま頷きます。

「うん」
志貴さまは明るく頷き、食堂へ向かいます。



今日はこの前みたいに秋葉さんがデートの邪魔をしないようですね。
こうなると邪魔をするのは我がご主人様ただ一人。
今の志貴さまを見るところ、デートの邪魔をしたら怒りそうな感じです。
マスター、ちょっとまずいですよ、この状況は。



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6月10日(日) 午後 前半

今日のシエルさんとのデートは彼女のアパートまで迎えに行く約束になっています。
月曜日に、シエルさんとの今日のデートを忘れていた件で、志貴さまは約束したのです。
13時頃、シエルさんのアパートに行くということで話しているのを耳にしております。


志貴さまはゆっくり用意して、余裕を持って屋敷を出ました。
居間にいて未だにボーとしている秋葉さんに声をかけたあと、
翡翠さんに見送られて出かけていきます。

「行ってらっしゃいませ、志貴さま」
門の前で翡翠さんが深々と頭を下げて自分の主を見送ります。

「行って来ます、翡翠」
志貴さまが翡翠さんに見送られて歩いていこうとして、
いきなり振り返りました。

「そうだ、翡翠……」
 先週の約束は覚えている?」

「先週の約束……」
翡翠さんはちょっと遠くを見つめるようにして考え込んでいます。

「ほら、先週、秋葉と俺が出かける前に約束しただろ。
 今度一緒に出かけようって」
志貴さまがちょっと照れながら口にします。

翡翠さんはしばらく思い出すような仕草をみせたあと、
顔がボンと真っ赤になりました。
そして真っ赤になりつつも、コクと頷いています。

「よかった、覚えていてくれて。
 もしかして忘れられたかと思ったよ」
ホッとしたように志貴さまが安堵の笑みを浮かべます。

「いえ、そんなことはございません!」
翡翠さんは志貴さまの言葉を否定しようとしてあせるあまり、
大きな声になってしまいました。
そしてそんな自分の大きな声に驚き、またもや真っ赤になってしまいます。

翡翠さんは真っ赤になりながら恥ずかしそうに俯いて、
「志貴さまとの約束は決して忘れはいたしません」
とささやくようにつぶやきました。

そんな翡翠さんをにこやかに見つめながら
「それじゃ、翡翠の都合のいい日で。
 あとで翡翠の予定を教えてね」
と志貴さまはあの笑顔で微笑みます。

「はい……わかりました」
真っ赤のままコクンと頷く翡翠さん。

「それじゃ、行って来ます」
志貴さまは翡翠さんに声をかけて、去っていきます。
あとには真っ赤になっている翡翠さんただ一人。

翡翠さんは志貴さまが見えなくなるまでずっと見送ります。
真っ赤な顔のままで……

「志貴さま……」
翡翠さんの呟きは風に乗り、志貴さまを追いかけていくわたしの耳で
かろうじて聞き取れるレベルでした。



志貴さまの魅力は周りの方を惹きつけます。
翡翠さんも志貴さまのことを憎からず想っているようです。
翡翠さんは志貴さま付きの侍女ですから、秋葉さんより有利です。

アルクェイドさま、どんどんピンチになっていきます。
これでますます志貴さまをめぐる争いが厳しくなってきました。
遠野家の女性たちが志貴さまに対して本気になってきていますね。
ここにもし琥珀さんが加わったらさらに厳しさが加速します。

いったいどうなることになるのでしょうか。





……そしてわたしの気持ちはどこへ向かうのでしょうか……



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6月10日(日) 午後 中間

シエルさんのアパートへ向かう志貴さま。
余裕を持って出ていきましたので、
待ち合わせの時間に遅れるということはありません。
ゆっくり、シエルさんのところまで歩いていきます。



わたしはそんな志貴さんのあとをゆっくりついていきました。


志貴さまとシエルさんの件は予めアルクェイドさまに報告しています。
今回、アルクェイドさまはどうやって邪魔をされるのでしょうか。
秋葉さんは志貴さまに念を押されていますので、
前回の時みたいに邪魔をしないでしょう。
アルクェイドさま、志貴さまに見つからないように頑張ってください。




そんなことを考えながら、志貴さまの後をつけていると
急に志貴さまが立ち止まりました。

ん、何かあったのでしょうか。
まだ時間には余裕がありますが……

「おいで……」
志貴さまが通りの端でしゃがんで、ちっちっちっちっと呼びかけます。
視線はわたしを見ているようで……


……えっ?
わたしを見ている?
失敗しました、どうやら見つかってしまったようです!

わたしは辺りをキョロキョロと見回します。
もしかして他の猫や何かを呼んでいるのかと思って。
だけど、周りには志貴さまが呼ぶような動物はいません。
どう見ても、呼ばれているのはわたしです。

困りました。
考え事に夢中になっていて、志貴さまに近づきすぎたようです。

「おいで……」
志貴さまはなおもわたしのことを呼んでいます。

「……ニャアー」
わたしは出来るだけ普通の猫のフリをして、志貴さまに近づきます。
ここで変に逃げて印象に残るのを恐れたのです。

音もなく歩き、志貴さまに近寄っていきます。
こういう状況で猫の時のわたしが見つかるとは思いもよりませんでした。
先週は人間の格好で、今週は猫の姿で……
これはわたしの失態です。
こんなコトでは使い魔として失格です。

志貴さまの手の届く位置まで近づきました。
そこで志貴さまのことを見上げます。

「ニャアー」

志貴さまは一声上げたわたしの頭を撫でてくれました。
そして耳の後ろを掻いてくれます。

わたしは気持ちよくなって、志貴さまの足に顔をこすりつけます。

「ニャアー」

志貴さまはわたしを触りつつ、
「お前はどこの飼い猫だ?」
なんて聞いてきます。

「ノラにしては毛並みがきれいだなぁ。黒一色の艶やかな毛並みで。
 顔も荒んでないし、どこかのお金持ちの迷子か、お前は?」

「ニャアー」

わたしは自分を褒められて嬉しくなりました。
猫の姿になっているときでも、毛並はきれいにしています。
自分でも気に入っているのです、この艶やかな毛並みを。
それを志貴さまに褒められて、とても嬉しくなりました。

志貴さまが喉に手をやってくすぐります。
わたしは気持ちよくなってゴロゴロ喉を鳴らします。

「首輪もしていないし、野良猫か、お前は。
 もしお前がノラなら家で飼いたいんだけどな……
 でも秋葉がなんていうかな?
 あいつは動物のことを好きだったけなぁ?
 ……まあ、お前ならきっと許してもらえそうだけど」

志貴さまはそう言って撫で続けます。
わたしは目をつぶってうっとりしはじめました。

「家で飼えればなあ……」

志貴さまはそう呟き、名残惜しそうに撫でるのをやめました。
わたしは志貴さまを見上げて「にゃあ」と一言鳴きます。

「うっ、そういう目で見るなよ。
 連れて行きたくなるじゃないか」

志貴さまはそう言いながら立ち上がり、腰を曲げて頭を撫でます。

「ニャアー」

わたしは志貴さまの足にまたもや顔をこすりつけます。
志貴さまは欲求に負けたのか、再度しゃがんで頭を撫でてくれました。



……今はもしかしてチャンスかもしれません。
まだアルクェイドさまも来ていないようですし……
ドキドキしながらわたしは思いきった行動をとることにしました。

再度しゃがんでくれた志貴さまの胸に飛び込みます。
志貴さまは驚いたようですけど、しっかりわたしのことを受け止めてくれました。

「おいおい、もう行かなきゃいけないんだよ、俺は」
志貴さまは猫のわたしに懐かれて満更でもない様子。

わたしは一瞬ためらったあと、思い切って先ほどからの考えを実行しました。


志貴さまの顔をぺろっと舐めたのです。


志貴さまは驚いています。
ここまで懐かれているとは思っていなかったようで。

黒猫だから目立たないですけど、今のわたしは真っ赤です。
気になる男性である志貴さまの顔を舐めたのですから。
しかも胸に飛び込んで。
ドキドキが止まりません。
体中が熱くなっています。

志貴さまはいったん、両手でわたしの脇の下を持ち腕を伸ばします。
わたしは志貴さまに空中で支えられている状態です。

「……かわいいなぁ、お前は!」

志貴さまはそう言って、がばっとわたしを抱きしめます。
もちろんわたしの体が痛くならないように、うまく抱いてくれました。

「ニャアー」

わたしは首を伸ばして、志貴さまの頬をぺろぺろ舐めます。
こんなチャンス、二度とないかもしれません。
気持ちをこめて、志貴さまの顔を舐め上げます。

抱くことで満足したのか、志貴さまはゆっくりわたしのことを地面におろします。
名残惜しそうな顔をしているのはわたしの錯覚でしょうか。

「じゃあな、また縁があれば会えるだろう」
そう言って軽く頭を撫でてくれます。

「もう行かないと、遅れるな」
志貴さまはそう呟き、シエルさんのアパートに向かいます。

わたしは「ニャアー」と鳴き、さよならの挨拶をします。

志貴さまはいったん振り返り、手をあげて去っていきました。




……志貴さまに抱かれました。
志貴さまにキスをしました。
もう、わたしの身も心も全て志貴さまのモノです。

わたしはマスターの命令で志貴さまを見張っていましたが、もうダメです。
完全に志貴さまのことを好きになってしまいました。
でも、わたしは使い魔。
所詮、主人であるアルクェイドさまの指示から離れることは出来ません。

ああ、わたしはどうしたらいいのでしょう……
志貴さま……



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6月10日(日) 午後 中間 2

シエルさんと一緒に出かける予定の志貴さま。
約束の時間通りにシエルさんのアパートに到着しました。

「先輩、迎えに来ました」
志貴さまが玄関前に立ちシエルさんに挨拶します。

「あ、遠野君、こんにちは。
 それでは行きましょうか」
シエルさんがニコニコしながら、玄関から出てきました。

外はいい天気です。
このごろ雨模様だった空なのですが、今日は快晴です。
梅雨の中休みといったところでしょうか。

「天気が晴れて良かったですね、先輩」
まぶしそうに空を見上げて、志貴さまが話しかけます。

「そうですね、お日様が出ていて良かったです」
志貴さまを真似するかのように、シエルさんも空を見上げて
にっこり微笑みます。

「せっかく、遠野君とデートできるのだから、
 晴れてくれなきゃ困ります」
シエルさんはちょっと赤くなりながら、呟いてます。

空を見つめていた志貴さまはシエルさんの言葉を聞き取れず、
「えっ、なんて言いました、シエル先輩?」
と聞き返してました。

シエルさんはニコニコして
「何でもないです」
と言いながら、志貴さまの腕を取ります。
どうやら、腕を組むつもりのようです。

志貴さまはこのごろ慣れたのか、慌てずに腕を差し出しています。
以前まででしたら、赤くなったりしていたのですが、慣れはじめましたね。
と、よく見ると顔が少し赤いです。
まだまだ照れているところがかわいいです、志貴さま。



シエルさんは腕を取り、かき抱こうとしましたが……
急に真顔になって、腕を抱くのをやめました。
そして腕を持ったまま、立ち止まります。

「ん?」
志貴さまもシエルさんにつられて立ち止まります。

シエルさんは立ち止まったあと、奇妙な行動にでました。
いきなり、志貴さまの胸や腕の匂いをかぎはじめたのです。

くん、くん、くん……
シエルさんは犬のように志貴さまの匂いをかいでます。

「……あの、先輩……」
志貴さま、動揺。
それはそうでしょう。
いきなり女の子にくんくん匂いを嗅ぎはじめられたら
誰だってびっくりします。

「何かありましたか、遠野君」
シエルさんは志貴さまの言葉を無視して、
志貴さまを上目遣いで見ながら尋ねてます。

「何かって、何が?」
志貴さまは「へっ?」という顔をして、聞き返します。
シエルさんの言っていることがわかっていないようです。

端から見ていても、シエルさんの行動は不可解です。
いったい、彼女は志貴さまに何を感じたのでしょう。

「それがわからないから聞いているのです」
それは無茶苦茶です、シエルさん。
志貴さまはわからないから聞いているのに、それが答えですか。
わたしの感想を余所にシエルさんは志貴さまをじっと見つめます。

「いや、別に何もないけど……」
志貴さまは困った顔をしてシエルさんに答えました。

「……夜にしては匂いが濃い……」
シエルさんはぶつぶつ呟きながら匂いをかいでいます。

「……えっ、先輩、今なんて言ったの?」
志貴さまがシエルさんの言葉を聞き取れず、聞き返します。

「昨日は夢を見ましたか、遠野君」
シエルさんはいきなり関係ないことを聞き始めます。
志貴さまはますます不可解な表情に。

「……夢ですか?
 特に見ませんでしたけど。
 ぐっすり寝ていましたよ、昨日は」
志貴さまは関連性を見いだせない質問に困惑している様子で
シエルさんに答えてます。



夢……
もしかしてシエルさんは……



志貴さまの顔をじっと見ていたシエルさんは
「何でもありません。どうやらわたしの勘違いのようです。
 行きましょうか、遠野君」
そうシエルさんは言って、改めて志貴さまの腕をとって自分の胸にかき抱きました。
そして、そのまま歩いていきます。

志貴さまは「わけがわからない」という顔をしつつ
シエルさんに腕を取られるままついていきます。


二人は街の方向へ歩いていきました。
今日は繁華街の方でデートのようです。
二人が遠く離れてからわたしは物陰からでていきます。
今日はちょっと離れ気味に志貴さまを見守ることにしたのです。

……シエルさんは勘が鋭い人です。
たぶん、わたしが志貴さまと接触したのに気づいたのかと。
人間でないモノの匂いを敏感に嗅ぎとって、
あのようなことを聞いたのだと思います。
あのまま、さらに質問されていたら、
わたしの存在が勘づかれてしまったかもしれません。

……ふー、危なかった……



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6月10日(日) 午後 後半

志貴さまとシエルさんが一緒に肩を並べて歩いています。
仲良く腕を組まれて……
まったくもって羨ましいかぎりです。
わたしも志貴さまと腕を組んで歩けたらいいのに……

そんなわたしの私情はおいといて、志貴さまの見張りです。
今回はいつもより離れて見張っています。
シエルさんが志貴さまから漂う匂いから何か勘づかれたようですけど、
これ以上、怪しまれるわけにはいきません。
気づかれないように、細心の注意を払って見張りを続けます。


お二人はゆっくり歩いていきます。
時々立ち止まり、通りに並んでいる店を覗いたり、
店先のショーウィンドウを眺めたりしています。
シエルさん、すごく幸せそうです。
ニコニコして微笑みをたやしません。
これは彼女が望んだ幸せな光景の一つなのでしょうか。





そうして時間は流れます。
昼過ぎからということもあり、あっという間に時間が過ぎていきました。
何故かアルクェイドさまも姿を見せず、お二人を邪魔する方は誰もいません。
二人はゆっくりと限られた時間を楽しまれます。

辺りが暗くなり、楽しい一時は終わりを告げます。
志貴さまとシエルさんは公園のベンチに座っていろいろ話をされていました。

「もう、こんな時間になったのですね」
シエルさんが腕時計を見ながら、残念そうに話しかけました。

志貴さまは公園の時計を見て時刻を確認して、
「時間がたつのが早いね」
と答えます。

「今日は先輩と遊べて楽しかったです。
 また一緒に出かけましょう、シエル先輩」
志貴さまがシエルさんににっこり笑いかけます。

「そうですね。また遠野君と遊びたいです」
シエルさんが顔を赤くしながら、俯いて答えます。

「約束したカレーを今日は食べに行けませんでしたしね」
かわいらしい言葉のあとで、カレーについて言及するシエルさん。

「……うっ 先輩、カレーは次の機会に必ず……」
志貴さま、苦笑い。

「えぇ、期待していますよ、遠野君」
シエルさん、顔を上げて志貴さまのことを見つめます。

「でも遠野君は人気者ですから、次はいつ一緒にデートできるかわからないですね」
シエルさん、寂しそうです。

「……うっ。人気者ってわけではないけど……」
志貴さまが答えに困ってます。

「それでもいいです。私は待ちますので」
シエルさんがにっこりと志貴さまに微笑みかけます。

「……ごめん、先輩……」

「遠野君が謝ることではないです。気にしないでください」

「…………ごめん」
志貴さまが繰り返します。


「じゃ、今日は楽しかったです。
 また誘ってくださいね、遠野君」
シエルさんがこの場の雰囲気を流そうと努めて明るく振る舞います。

志貴さまもそれがわかったらしく、
「わかりました。機会があればすぐにでも」
と無理矢理つくったような笑顔で笑いかけます。

シエルさんがそんな志貴さまを見て、一瞬、眉をくもらせますが、
明るくうなずき、
「それでは私はこれで失礼します。遠野君も気をつけて帰ってくださいね」
とアパートの方向へ向かいます。

「あ、先輩、アパートまで送るよ」
志貴さまが立ち上がりかけましたが、
「大丈夫です。送っていただきたい気持ちもありますが、今日のところは遠慮しちゃいます」
と言って、スタスタ歩いていきます。

少し歩いてからシエルさんが振り向き、
「それでは遠野君も気をつけてください。
 泥棒猫がそのあたりに隠れていますけどくれぐれも引っかからないでくださいね」
と仰天発言をしました。


えっ、わたしのことを見破ったのでしょうか。
今日は遠くから見ていたので見つかる恐れはないのですけど……
どこかで見たのですか、わたしのことを?


と、わたしがそんなことを考えたとき、
志貴さまたちに近い茂みからガサッと音がしました。
誰かが立ち上がったようです。

「アルクェイド? なにやってんだよ、こんなところで!」
志貴さまがびっくりしてます。

アルクェイドさま、いらしたのですか!
今日は姿を見かけませんでしたのでいらっしゃらないのかな?と
思っていたのですが、しっかり尾行していたのですね。
使い魔の私にも悟られず、尾行していたとはさすがアルクェイドさまです。

…………って、いつから尾行していたのですか?
もしかして、私が志貴さまに抱かれたときからいたわけではないですよね?……

「今日は珍しく邪魔しませんでしたね、アルクェイド。
 いったいどういう風の吹き回しですか?」
シエルさんが顔から笑みを消して話しかけます。

むーとした顔でアルクェイドさまが言い返します。
「どういう風の吹き回し≠煢スもただ後をつけてただけ。
 志貴に嫌われたくないから邪魔はしなかったのよ」
最後の方はちょっと頬を赤く染めながら小声になっています。

シエルさんはアルクェイドさまを睨みながら
「まあ、いいでしょう。実際に邪魔されなかったことですし。
 遠野君、くれぐれもこれから泥棒猫と遊ぶなんてコトしてはダメですよ。
 早く帰らないと秋葉さんがオカンムリでしょうから」

「なによ、その泥棒猫≠チて」
アルクェイドさまがぶーぶー言ってます。

シエルさんはそんなアルクェイドさまを無視して
「それでは今日はこれで失礼します。
 また明日学校で。遠野君!」
そういって、くるっと後ろを向きました。
どうやら本気で志貴さまとアルクェイドさまを置いたまま帰ろうとしているようです。

「じゃ、おやすみなさい」
最後にこちらを振り向いて、手を挙げて挨拶して、
シエルさんは帰っていきました。

「おやすみ、先輩」
志貴さまは遠ざかっていくシエルさんにお別れの挨拶をして
アルクェイドさまと対面します。



「……ふぅ。
 いつからいたんだ、お前は?」
ため息をついている志貴さま。

「……いつからって、二人で街を歩いているところかな?
 邪魔をしようと思ったけど、志貴に怒られたくなかったから、
 こっそり後をつけただけ」
アルクェイドさまがシュンとした顔で言い訳してます。

「……たく、しょうがないな、アルクェイドは」
志貴さまは呆れてます。
続けないところを見るとこれ以上言わないことにしたようです。

「へへー」

「ほれ、マンションまで送っていってやるから。
 行くぞ、アルクェイド」

「うん」
アルクェイドさまは明るく頷き、志貴さまの腕を取ろうとしました。

「アルクェイド、今日はダメ」
腕を取られた志貴さまが、優しくマスターの腕をはずして断りました。

「……えー。志貴怒っているの?
 私が後をつけていたから?」
アルクェイドさまが志貴さまの顔色をうかがいます。

「違う、そんなことでじゃない。
 今日は先輩と出かけていたから、最後までそれを守りたいだけ。
 なんか、別れたからといって、他の人と腕を組むのは違うと思う」
志貴さまがアルクェイドさまの目を見ながら答えます。

「……うー。
 シエルはもういないよ」

「ダメ。そういう問題じゃない」
志貴さまは頑固に言い張ります。

アルクェイドさまはむーとした顔をしましたが、
渋々志貴さまの腕を取るのをやめました。

「……ごめんな、アルクェイド。
 また今度な」
志貴さまがそういってアルクェイドさまの頭に手をぽんと置いて撫でまわします。

「うー。髪の毛が乱れちゃうよ、志貴ー」
そういうわりには嬉しそうなアルクェイドさま。

アルクェイドさまの頭から手をどかして
「ほれ、行くぞ。アルクェイド」
と志貴さまがスタスタとアルクェイドさまのマンションに向かいます。

「待ってよ、志貴ー」
アルクェイドさまが慌てて後をついていきます。



二人はマンションへ向かいました。
わたしは複雑な気持ちでそれを見送ります。
自分の好きな方を遠くから眺めているだけというのは厳しいモノです。
しかも自分の主も恋している方なので、余計にややこしくなります。

少したってから、志貴さまたちの後をついていこうと茂みの中から出ようとしたら、
妙な気配を感じました。
出るのをやめて茂みから辺りを見回すと、星明かりの下、電柱の上に誰かが立っています。

……あれはもしかして!

よく見るとシエルさんが電柱の上に立って
アルクェイドさまと志貴さまが帰った方向を見つめています。
帰ったと思ったのですが、志貴さまが心配で戻ってきたのでしょうか。

しばらくシエルさんはじっと見つめていましたが、
そのうち口元に笑みを浮かべて、闇に消え去りました。

あの笑みはどういう意味でしょうか……
アルクェイドさまが志貴さまの腕を取ろうとして、それを志貴さまが断ったのを見て
安心されたのでしょうか。

完全に気配がなくなるまで茂みの中で待機します。
シエルさんの気配が完全になくなったのを確認して、
わたしはアルクェイドさまのマンションに向かいました。

今からですと、アルクェイドさまを見送った志貴さまが
帰途につくところで捕まえることが出来るでしょう。
流れ的にアルクェイドさまのマンションには寄っていかないと思います。
わたしは急ぎ足で志貴さまを追いかけます。


志貴さまの魅力にはあのようなところもあります。
あれを自然に行うところが志貴さまのすごさでしょうか。
これでシエルさんの中で志貴さまポイントも確実に上昇したかと。
ますます、大変な状況になりつつあります。
頑張ってください、アルクェイドさま。



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6月11日(月)

ハァ……
昨日は自分の気持ちを改めて再確認した日です。


志貴さまのことを好きな自分に気づいた日。


今までは好きかもしれない……
この感情はいったい何なのか……
という気持ちが先行していましたが、
昨日の件で自分がどんなに志貴さまのことを好きなのかがわかりました。

アルクェイドさまの命令で、志貴さまを見張りはじめたのが最初のきっかけ。
それまではアルクェイドさまの命令で一回だけ志貴さまの夢に入ったのと、
あの蒼い月の下で一目見かけたことのみ。
見張っているうちに、あの透明な何者であろうと優しく包み込む笑顔に魅了されて、
さらに見張っているうちに人柄に惹かれていき、
秋葉さんとのデートを報告して戻る際に物理的に接触、
その時にそれまで感じていたもやもやが具体化して、
志貴さまを見張っているとき、志貴さまのことばかり考えるようになって、
昨日、志貴さまに抱かれたときに全てはっきりしました。
ああ、わたしはこんなに志貴さまのことを好きなんだなと。
滅多にないチャンスとばかりにペロペロ志貴さまの顔を舐めまわしたのは
やりすぎだったかもしれませんが。

わたしと志貴さまは棲む世界が違います。
それでもわたしは志貴さまが好きですし、好きであることを恥じてません。
種族が違うのは認めます。
でもそれは人間に恋してはいけない、ということになるのでしょうか。


好きです、志貴さまが。
志貴さまを好きなこの気持ちは誰にも負けません。
もし出来ることならばずっと側にお仕えしたいです。
側に寄り添い、あの笑顔を見ていることが出来たらどんなに幸せでしょうか……

たとえ、アルクェイドさまに反対されようとこの気持ちを偽ることは出来ません。
わたしはけっしてこの気持ちを裏切らないでしょう。
志貴さまを好きなこの気持ちを……

わたしは志貴さまを好きであると、胸を張って言います。
何者であろうとわたしの気持ちを曲げさせるのは不可能です。
だって、こんなに志貴さまに恋しているのですから。


志貴さま、お慕い申し上げます……



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6月12日(火)

アルクェイドさまが志貴さまのベッドに潜り込んでいます。
五時頃、突然来たかと思ったら、窓から勝手に入っていかれました。

今日は志貴さまは学校です。
このまま志貴さまが起きられないと、翡翠さんに見つかってしまいます。
マスターももう少し志貴さまの生活を考えて行動されればいいのに。

志貴さまの部屋の方に目を向けると、
志貴さまはベッドの上で身動きひとつせずに穏やかに寝ています。
相変わらず彫像のように血の気のない白い肌をして生きている感じがしません。

アルクェイドさまは、志貴さまの隣に潜り込んでいるようです。
志貴さまの隣が不自然に盛り上がっていますので。
どう見ても、誰かが潜り込んでいるとしか思えないこの盛り上がりに
翡翠さんはどのような反応を示すでしょう。

アルクェイドさまは、そんなことお構いなしとばかりに潜りっぱなしです。
ここからですと顔が見えませんが、幸せそうな顔をしているのは間違いありません。
でもその幸せは志貴さまの不幸を呼ぶことになるのですよ、アルクェイドさま。

見つかりますね、間違いなく。
もうすぐ翡翠さんが志貴さまを起こしに来る時間です。





コンコン。
ドアをノックする音が聞こえました。
翡翠さんがやってきました。

「志貴さま、起床の時間です。
 起きて下さい」
ドアの外で声をかけますが、相変わらず志貴さまは起きません。

翡翠さんはガチャッとドアを開けて、志貴さまの部屋に入ってきました。

「……………………」
志貴さまが眠るベッドを見ています。
いえ、正確には志貴さまが眠る横の盛り上がりを見ています。

翡翠さんはちょっと呆気にとられた顔をしましたが、
すぐにキッと毅然とした顔になり、ズカズカと志貴さまの寝ているベッドに近寄ります。

「志貴さま、学校の時間です。
 起きて下さい」
翡翠さんが志貴さまの着替えを持ったまま、起こそうと声をかけます。

何度か声をかけているうちに、志貴さまの顔に赤みが戻ってきました。
これは志貴さまが起きる前兆。
もうすぐ、志貴さまは起きられます。

そうしているうちに志貴さまの隣の盛り上がりがもぞもぞ動きました。
どうやらこちらも目が覚めたようです。

「……んー」
布団から顔を出して、うーんとのびをします。その仕草はまるで猫のようです。
そうしてから体を起こして目をごしごしこすりながら辺りを見回します。

ここがどこだかわかっていない様子。

翡翠さんが下を向き、なにやら耐えています。
体がぷるぷる震えているのがわかります。

「……あ、おはよう、翡翠」
アルクェイドさまが翡翠さんにニパッと朝の挨拶をします。

「……おはようございます、アルクェイドさま。
 志貴さまの部屋で何をしているのでしょうか」
翡翠さん、ちょっと怒っています。
自分のご主人様を起こしにきたらベッドに潜り込んでいる女性がいるのです。
怒られてもいたしかたないかと。

「んー? 志貴がこのごろ構ってくれないから遊びに来たのよ」
アルクェイドさまはスパッと言い切ります。

翡翠さんは何かを耐えるように震えながら
「遊びに来るのに何故志貴さまのベッドの潜り込むのでしょうか」
とアルクェイドさまに質問します。

「だって志貴が寝ていたから。志貴があまりにも気持ちよさそうに寝ていたのでついねー」
アルクェイドさまは翡翠さんの怒りをさらっと流します。

「とにかく、ベッドから出て下さい」

翡翠さん負けていません。
アルクェイドさまが相手でも一歩も引かずにやり合います。

「むーそんなに怒ることじゃないのに」
ぶつぶつ言いつつ、アルクェイドさまが布団をめくると
志貴さまが目を覚ましました。

眼鏡をかけて、辺りを見回します。
そして翡翠さんに焦点を合わせると、朝の笑顔炸裂です

「おはよう、翡翠。今日も起こしてくれてありがとうね」

翡翠さんは真っ赤になって下を向きます。
未だに志貴さまの笑顔の耐性がつかない模様です。

下を向きつつ
「おはようございます、志貴さま」
と挨拶します。

あ、アルクェイドさまがむくれています。
自分に気づかず、二人の世界に入っていったのがお気に召さない様子。

「むー。
 志貴、おはよー」

「うゎっ。
 アルクェイドいたのか」
志貴さま驚いています。
どうやらアルクェイドさまがいらっしゃることに気づかなかったようです。

「って、何で俺のベッドに潜り込んでいるんだ、アルクェイド?」

「うん、遊びに来たら志貴が寝てたから、暇だし気持ちよさそうだったから
 つい潜り込んだのよ」
アルクェイドさまが言い訳します。
でも普通は寝ている時間に遊びに来ませんし、勝手に人の家に入らないかと。
しかもベッドに潜り込むのはどうみても間違えています、アルクェイドさま。

「ったくしょうがないな、アルクェイドは」
志貴さまが苦笑しています。
それを見てアルクェイドさまがニパッと笑いかえしました。

「……志貴さま、早く起きられないと学校に遅刻してしまいます」
せっかく二人の世界に入っていたのにアルクェイドさまに邪魔されたので
お返しとばかりに冷たく割ってはいる翡翠さん。

「ああ、そうだね、翡翠。今すぐ起きるよ」

「それでは着替えをここに置いておきますので、早くお召しになって下さい」

「わかった。ありがとうね、翡翠」

翡翠さんが一礼をして部屋から出ていこうとします。
でもハッとアルクェイドさまがいることを思い出して、
アルクェイドさまの手を引っ張ります。

「なに、翡翠?」

「志貴さまが着替えますので、アルクェイドさまも出ていって下さい」

「えー志貴の裸なら見ても気にしないよ、わたしは」

「ダメですっ!」
翡翠さんが真っ赤になりながら、
アルクェイドさまの手を取って部屋の外に引っ張っていきます。

志貴さまはそんな二人を見て「やれやれ」と呟いたあと
いそいで着替えます。
今日は登校するのにそんなに余裕がなさそうです。



志貴さまが着替えて居間におりていきますと、
秋葉さんが機嫌悪そうにしています。

「おはよう、秋葉」

「……おはようございます、兄さん。
 今日はずいぶんと遅いですね」

「そんなにでもないと思うぞ。この時間ならまだ大丈夫さ」
志貴さまが時計を見ながら反論します。

「でっ」
「おはようございます、志貴さん」
秋葉さんが何か言おうとしたら、琥珀さんがかぶせるように
志貴さまに挨拶します。

「おはよう、琥珀さん。
 お腹減っちゃってるので、ご飯よろしくー」

「ハイハイ、今すぐに」
琥珀さんはそういって厨房にこもります。


「で、兄さん」
志貴さまがソファーに座ると、その前に座っている秋葉さんが
キリッとした顔で改めて話を切り出します。

「何故、アルクェイドさんが兄さんの部屋から一緒に出てくるのですか?」

「一緒もなにも、何もしてないぞ、俺は」
志貴さま自己弁護。

「何もしていないよ、いもーと。ただ一緒に寝ただけだよ」
アルクェイドさまが状況を悪化させる発言をして
ますます場が混乱していきます。

「……一緒に寝ただなんて、兄さん!」
秋葉さんが怒っています。
ちょっと髪が赤くなりかけています。

「いもーと、そんなに怒らなくても」

「さっきからいもーと≠ニわたしのことを呼びますが、貴方に妹と呼ばれる筋合いはございません。
 一生、そう呼ばれることもないです!」

「えー志貴とわたしが結婚すれば、秋葉はわたしの妹になるでしょう」

「ですから何故、兄が貴方と結婚するのですか!
 そんなあり得ない話を前提に私を妹≠ニ呼ばないで下さい!!」

「むー志貴からもなんか言ってやってよ、いもーとに」

「兄さん、本気なんですか!
 本気でこの泥棒猫と結婚されるのですか!?」
秋葉さんが髪を真っ赤に染めて志貴さまに飛びかからんばかりに詰め寄ります。

「結婚も何もそんな話はしたことないぞ、秋葉」
志貴さまが苦笑しながら秋葉さんをなだめます。

「むー」
アルクェイドさまが志貴さまの話を聞いてむくれてます。

「ていうかアルクェイド。秋葉をあまり怒らせないでくれ」

「……だって、いもーとが……」

「だからいもーと≠ニ呼ぶから秋葉が怒るんだよ」
志貴さまが苦笑いしてアルクェイドさまを説得します。

「普通に秋葉と呼べば、秋葉は怒らないよ」

「むー」
アルクェイドさまはますますむくれています。

「秋葉さま。アルクェイドさんは志貴さまと遊ぼうとして
 夜に訪れたらしいです。
 そして志貴さまがお休みになっていたので、ベッドに潜り込んだようです」
壁際に控えていた翡翠さんが秋葉さんをなだめるかのように説明します。

「……それではやましいことは何一つなかったのね」

「志貴さまが起きられましたときにアルクェイドさまが隣にいて
 びっくりされておりました。
 たぶん、そのようなことはなかったかと」
翡翠さんが真っ赤になりながら志貴さまを弁護します。

「……そう、それならいいですけど」
秋葉さんが胸を撫で下ろすかのような仕草を見せたあと、
キッとアルクェイドさまを睨んで
「勝手に遠野の屋敷に忍び込まないでいただけますか、アルクェイドさん」
釘をさします。

「えー、何もしないなら別にいいじゃない、いも……秋葉ー」

「ダメです」
秋葉さんはとりつく島もありません。

「むー秋葉、おーぼーだ」

「勝手に忍び込んでいる人に横暴≠ネんて言われたくありません。
 人外だからといって、ルールを守らなくていいというわけではないのです。
 わかりますか?」
秋葉さんが腰に手をやってぐぃっとアルクェイドさまに詰め寄ります。
アルクェイドさまはその迫力に負けて、志貴さまの背中に隠れます。

「志貴ー、秋葉がいじめるー」

「兄さんの後ろに隠れるなんて卑怯です」
秋葉さんがさらに近寄ったとき、

「志貴さーん、ご飯できましたよー」
と食堂から声が聞こえてきました。
琥珀さんが食事を作り終えたようです。

「今、いきまーす」
琥珀さんに返事をして、志貴さまは二人をなだめにかかります。

「ま、秋葉も大目に見てやってくれ。
 別にアルクェイドは悪いことをしているわけでもないんだから」

「……ですけど……」

「アルクェイドには俺からも言っておくから。
 確かに勝手に屋敷に侵入するのはどうかと思うしな」

「うー。それぐらいいいじゃ……」
アルクェイドさまが何かを言いかけようとしたら
志貴さまが口を挟みます。

「アルクェイド。
 たとえお前が人間でなくても守らなくてはいけないことがあるんだよ。
 だから、すこしは遠慮しろ」
アルクェイドの頭をくしゃくしゃ撫でながら、志貴さまは言い聞かせます。

「う……。
 うん。出来るだけ守るようにする……」
志貴さまに頭を撫でられて、顔を赤くするアルクェイドさま。

「というわけで、秋葉。
 出来るだけ守らせるから今日のところは見逃してくれ」
志貴さまはアルクェイドさまを撫でた手を秋葉さんの肩に置きます。

「……えぇ、アルクェイドさんが守って下さるのなら私はそんなに……」

「ありがとう、秋葉」
志貴さまは肩に置いた手を秋葉さんの頬にもっていきます。
そして、そっと頬を撫でたあと、美しい髪の毛を梳きます。

「……あ、兄さん……」
志貴さまの必殺技が炸裂。
いつものごとく、秋葉さんは志貴さまの技により真っ赤になってしまいました。
下を向いて志貴さまの前でもじもじしています。

「もうそろそろ、学校に行かないと遅刻するぞ、秋葉」
志貴さまは頬を撫でた手を頭にポンとのせます。

「あ……えぇ、今行きます」
秋葉さんは真っ赤な顔のまま、ボーとしています。

「秋葉さま、もうそろそろ学校に行かないと遅刻してしまいます」
厨房から出てきた琥珀さんが、秋葉さんに呼びかけます。

「……あ、そうですね。 琥珀、鞄を。」
秋葉さんは現実世界に戻ってくると、志貴さまの方をくるっと振り返って
「それでは兄さん、学校に行って来ます」
と志貴さまに挨拶しました。

「行ってらっしゃい、秋葉。気をつけてな」

「ハイ、兄さんこそ気をつけて下さいね。
 遅刻なんてしないように」

「はは、まだ飯を食べても間に合う時間さ。
 早く行かないと間に合わなくなるぞ」
志貴さまは秋葉さんをせかします。

「それでは行って来ます」
秋葉さんは優雅にお辞儀して、鞄を持った琥珀さんとともに
学校へ行きました。

志貴さまは食堂へ行き、ご飯をいそいで食べます。
その間、アルクェイドさまは翡翠さんと何か話されていたようです。




「忘れ物はありませんか、志貴さま」
門の前で翡翠さんが志貴さまを見送ります。

「うん、大丈夫。
 見送りありがとうね、翡翠。
 それじゃ、行って来ます」
志貴さまは翡翠さんにそう言うと、
「ほれ、アルクェイド、学校の途中まで一緒に行くぞ」
と声をかけます。

「えー遊びに行かないの?」

「今日は学校。さっき秋葉に言われただろう。
 ルールは守れ≠チて。
 また、今度な、アルクェイド」

「むー」

「じゃ、行って来ます」

「気をつけて行ってらっしゃいませ、志貴さま」
翡翠さんは門の前で深々とお辞儀をしています。



志貴さまは走っています。
走らないと学校に遅刻してしまいますので。
アルクェイドさまは志貴さまが思いきり走っていても
平気な顔をしてついていきます。
このあたりは人間との違いでしょうか。
全然余裕の顔をしています。

交差点にさしかかり、もうすぐ学校というところまで来ました。

「ハァハァ……
 じゃあ、アルクェイド、いったんお別れだ」
志貴さまが荒い息のもと、アルクェイドさまに話しかけます。

「むー私も学校に行くー」

「だからダメだって」
志貴さまが苦笑しながらアルクェイドさまの提案をはねのけます。

「また今度な、アルクェイド」

「今度っていっても、いつも志貴、誰かとデートしているんだもん」
アルクェイドさまが拗ねてます。
俯いて、寂しそうに石を蹴ったり。

「……う、デートというか……
 確かに翡翠や琥珀さんとかとも約束しているしなぁ……」
志貴さまが困っています。

「約束する、次の機会にお前を誘いに行く。
 ちょっといつになるかわからないけど……」
志貴さまがアルクェイドさまの肩に手を置いて約束します。

「ホント!シエルより早くだよ!!」
アルクェイドさまは目を輝かせて志貴さまを見つめます。

「シエル先輩よりは早く誘う、約束する」

「秋葉よりも?」

「秋葉は翡翠や琥珀さんとの絡みもあるから何ともいえないな」

「むー……
 でもいいかな。志貴が約束してくれたことだし」

「ああ、必ず守るから安心してくれ」

「志貴は私との約束をずっと守ってくれているよね」

「ああ、前も話したけど、お前との約束はもう破らない」

「うん、それを聞いて安心した」
アルクェイドさまはニコッと笑って、志貴さまに近寄ります。

「……あ、アルクェイド?」

アルクェイドさまは志貴さまの頬に手をやって
そっと、顔を近づけます。



優しいキス。



真っ赤になったアルクェイドさまは
「約束だよ、志貴ー」
と志貴さまの耳元でささやきます。

「……ああ、必ず守る」
これまた真っ赤になった志貴さまが、アルクェイドさまと
力強く約束します。

「……じゃ、私はこれで。
 学校に遅刻しちゃダメだよ、志貴ー」
アルクェイドさまは笑顔で志貴さまに手を振って、去っていきます。

「おー、あ、まずい、遅刻する」
アルクェイドさまに手を振った志貴さまは学校まで全力で走ります。



こうして、アルクェイドさまと志貴さまは別れました。
約束を取り付けて……

なんていうか、自分のことはおいときまして、お二人はお似合いのカップルですね。
こう、弓塚さんと志貴さまも高校生カップルらしくお似合いですけど、
アルクェイドさまと志貴さまもお似合いです。
一見、金髪の美女と高校生というアンバランスな感じがしますが、
アルクェイドさまが妙にかわいらしくて、年齢の差を感じさせません。

アルクェイドさま、そのまま真っ直ぐ進んで下さい。
わたしは遠くから見守るのみです……


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6月13日(水)

キーンコーンカーンコーンー……

4時間目終了のチャイムが鳴りました。
お昼休みの時間です。

食堂の席を確保するために走っていく者、
弁当を持ってゆっくりと外に行く者、
席をくっつけあってグループを作る者などさまざまです。

そのようなクラス中がざわざわする中、志貴さまは乾さんと購買に行って
パンを買ってきました。
どうやら今日は教室で食事をするようです。

すでにクラスのあちこちで、仲の良いグループが固まりあっています。
ですが、志貴さまは落ち着いて空いている席を確保します。
そうして志貴さまと乾さんは二人で向かい合って食事を始めます。

「いつも思うんだけど、お前は小食だな、遠野」
乾さんは志貴さまが買ってきた量を見てあきれてます。

志貴さまの目の前にあるのはパックの牛乳と三角パン一つだけ。
たったこれだけですので乾さんでなくてもあきれるかと思います。
この量は女性とおなじぐらいかややもすると少ないです。
男子高校生の食べる量ではありません。

「俺はこれで充分なんだよ、有彦」
志貴さまは乾さんの言葉を聞き流して、牛乳にストローを挿します。

「本人が言うのなら、これ以上言ってもしょうがないけどよー。
 もっと食え、遠野。力が出ないだろ」
乾さんが志貴さまに食事を勧めます。

「いや、ホントこれで充分。これ以上は腹にはいらないよ」
志貴さまはそう言って乾さんの好意を受け取りません。

「ったく、だから貧血になるんだよ。もっと食わねぇとダメだろ」
乾さんは冗談めかして、カレーパンを勧めます。

「ほれ、カレーパンぐらい食えるだろ」

「乾君がカレーパンを食べないというのなら、私が食べちゃってもいいですか」
いきなり後ろから女性の声がしたかと思ったら、
ひょいっとカレーパンをつまみ上げて、幸せそうな顔でビニールを破りはじめました。

「せ、先輩」
乾さんがびっくりしています。
気配を感じさせずにいきなり後ろから声をかけられたら誰だってびっくりします。

「こんにちは、シエル先輩。今日はどうしたのですか」
志貴さまが面白そうに笑いながら話しかけます。

志貴さまはシエルさんに気づいていました。
こそっと乾さんの背後に近寄っていたことに。
シエルさんはああ見えてもお茶目なのですね。
新たな一面を見せて貰いました。

「今日は遠野君と乾君の食事に混ぜて貰おうと思いまして、きちゃいました」
シエルさんがニコッと笑って空いている机をくっつけます。

「せ、先輩ならいつでも大歓迎ッスよ。なあ、遠野!」
乾さんは相変わらずシエルさんの前ですとハイテンションです。
ガタガタとシエルさんのために椅子を持ってきたりとマメに動きます。


三人で仲良くお昼ご飯。
乾さんはハイテンションにいろいろ話しかけます。

志貴さまとシエルさんは乾さんの話に笑ってます。
乾さん絶好調です。


「そういえば、日曜日は楽しかったですね、遠野君」
乾さんの話が一息ついたところで、
シエルさんがいきなり志貴さまに話を振ります。

「あ、ええ。俺も楽しかったです、先輩」
志貴さまが微笑みながら、シエルさんに答えます。

「日曜日って、何だ、遠野?
 まさかシエル先輩と会っていたなんて言わないよな?」
乾さんが大きな声で叫びます。

「はい、遠野君とデートしちゃいました」
シエルさんが両手を頬に当てて、真っ赤になりながら、乾さんの質問に答えてます。

あ、近くのグループに混じっていた弓塚さんがピクッとしました。
どうやらシエルさんの話を聞いていたらしいです。
顔が曇っていきます。

乾さんはギロッと志貴さまを睨みつつ、
「こいつはいつもそうなんすよ。唐変木とか言われているわりには陰で遊んでいるんすよ」
と非難しています。

「おい、有彦。唐変木ってなんだよ。ていうか遊んでいる≠チてそんなことはないぞ」
志貴さまは自己弁護しますが、乾さんは聞く耳持ちません。

「金髪の美人のねーさんとか妹さんとかはどうなんだよ?」

「アルクェイドとはそんな関係ではないぞ。
 いつも一緒にいるわけでもないし。
 秋葉は妹だ……って別に遊んでないぞ。一緒に出かけるだけだぞ」

「それだけありゃ十分だ。お前のことだからまだ他にもいるだろうし」
乾さんがちらっと視線を弓塚さんにはしらせます。
志貴さまがその意味に気づかなかったようです。
が、弓塚さんは視線の意味に気づいたらしく真っ赤になっています。

「なんだよ、他にもって」

「うるせぇ。わからないからお前は朴念仁なんだよ」
乾さんがストレートに志貴さまにたたみかけます。



こうして三人で昼休みいっぱい、いろいろ話しました。
今日は主に志貴さまが乾さんにいじめられて
シエルさんがそれを聞いて笑っているという感じです。

予鈴がなり、シエルさんが自分の教室に戻っていきます。
にぎやかなお昼休みは幕を閉じました。

志貴さまは自分の席に、乾さんは教室の外に出ていきます。
たぶんトイレでしょう。


昼休みが終わっても、志貴さまをずっと見つめる人が一人。
離れた席から弓塚さんが志貴さまを見つめています。

弓塚さんは今日のシエルさんの話を聞いてから、ずっと暗くなっています。
志貴さま、気づかないのですか、弓塚さんの視線に。
これでは乾さんに唐変木≠ニ言われても仕方ありません。
このままでは弓塚さんがかわいそうですよ。

わたしはなんとなく弓塚さんの気持ちがわかるのです。
遠くから眺めているしかできない気持ちが……

はぁ……
志貴さま……



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6月14日(木)

下校時間になりました。
志貴さまが下駄箱のところで靴に履き替えていると、
弓塚さんがやってきました。

「志貴君、今帰り?」
弓塚さんが志貴さまに聞いています。
ちょっと照れながら話しかけているのが恋する女の子ぽくてかわいらしいです。

「うん、今から帰るところだけど。
 今日は用事がないからさっさと帰ろうと思ってさ」
志貴さまが靴を履いてつま先でとんとんとしながら、弓塚さんの質問に答えます。

「……わ、私も今から帰るところなの。
 も、もし良かったら途中までの道も同じだし、一緒に帰らない?」
弓塚さんが赤くなりながら、志貴さまを誘ってます。

「うん、いいよ。一緒に帰ろうか、弓塚さん」
志貴さまがにこやかに微笑み頷きます。

弓塚さんは嬉しそうに靴に履き替えて、志貴さまに近づきます。
鞄を両手でもって、スカートを翻しつつ、志貴さまの隣に寄ってきます。

「じゃあ、帰ろうか、弓塚さん」
志貴さまが弓塚さんの用意が出来たのを確認して、ゆっくりと歩きます。
何げに弓塚さんの歩くペースに合わせているところが志貴さまらしいです。



しばらく授業の話とかクラスの話をする二人。
ふと、会話が途切れて、弓塚さんの顔が暗くなります。


「どうしたの、弓塚さん」
心配そうに志貴さまが弓塚さんの顔を覗き込みます。

「…………」
弓塚さんは黙っています。
そして勇気を振り絞るかのように、志貴さまに話を振ります。

「昨日の昼休み、ちょっと話が聞こえちゃったんだけど……」
また黙ってしまいます。

「昨日の昼休みがどうしたの、弓塚さん」
志貴さまが優しく続きをうながします。

「……あ、あのね、聞こえちゃったんだけど、その……
 三年生のシエルさん……シエル先輩とデートしたのってホントなの?」
弓塚さんが下を向きながら志貴さまに尋ねます。

「うん、デートってわけではないけど、一緒に街を歩いていただけ」
志貴さまが弓塚さんを見つめて答えます。

「やっぱし、ホントだったんだ……」
弓塚さんが先ほど以上に落ち込まれます。

「ん、どうしたの、弓塚さん?」
志貴さまが心配そうに覗きこみます。

少ししてから弓塚さんが志貴さまに質問します。
「志貴君、約束覚えてる?」

「約束……何の?」

志貴さま、アウトです。
5月に弓塚さんと今度一緒に出かける≠ニ約束したではないですか。
それを忘れてしまうとは、弓塚さんに失礼です。
ほら、弓塚さんが悲しそうな顔をしています。

「あーあ、志貴君、覚えていてくれなかったんだ。
 残念だなぁ、あんなに楽しみにしていたのに……」
弓塚さんが笑顔で志貴さまに笑いかけます。
無理につくった今にも崩れそうな硝子の笑顔で。
泣きそうになっているのを我慢して微笑むその努力……

志貴さまは必死に思い出そうとしています。
弓塚さんが泣きそうになっているのを我慢しているのが伝わったのでしょう。
何とか思い出そうと努力しています。

弓塚さんが志貴さまに微笑みます。
「あのね、5月の終わりかな。一緒に帰ったときに
行きたいところがあるから付き合ってくれるかな≠チて志貴君に聞いたら
俺で良ければいつでもいいよ≠チて言ってくれたんだよ……」
 
「私ね、ずっと楽しみにしていたんだ。
 志貴君がいつ誘ってくれるか、それをずっと待っていたんだよ……」
弓塚さんの言葉が志貴さまにとけこみます。

「志貴君は、ほら、いろいろ忙しいから、
 私から誘えなかったんだ。
 なにかいつも誰かしらと出かけているようだったし」

「だから志貴君から誘ってくれるのを待っていたんだ……
 ずっとずっと……」
硝子のように脆く砕けそうな笑顔で弓塚さんは話します。


弓塚さんのつぶやきが風に乗り、空に舞い上がったあと
辺りを沈黙が支配します。



「……ごめん。
 なんて言っていいかわからないけど、とにかくごめん」
志貴さまの言葉が沈黙を破ります。

「……俺は馬鹿だ。
 約束を覚えていないなんて……」

「弓塚さんには悪いことをした。
 俺は謝ることしかできない……」
志貴さまが誠心誠意、弓塚さんに謝ります。

「とにかく、ごめん、弓塚さん。
 約束を忘れていて……」
志貴さまが弓塚さんに頭を下げます。


「うん、いいよ、志貴君。
 忘れることは誰だってあるもの。
 今度約束したとき、忘れないでいてくれたらそれでいいよ」
弓塚さんが泣き笑いのような顔で、志貴さまを赦します。

「…………ごめん、弓塚さん」


二人は無言で歩いていきます。
坂の手前の道まで到着しました。
ここで弓塚さんとお別れです。

「じゃあね、志貴君」
弓塚さんが泣き笑いのような表情を浮かべて、
スカートを翻し、走っていきます。
まるで泣きそうになる顔を見られたくないかのように……

途中まで行ってからクルッと振り返ります。
「また、明日、学校でね。
 じゃーねー」
そうして弓塚さんは去っていきました。


志貴さまは 「あっ」 と声を出しかけますが、
もうすでに弓塚さんには届かない距離です。

挙げかけた手をおろして、何かを考えています。
そうして、「よしっ」 と呟くと、何かを決断した顔つきで
帰途につきました。



志貴さま、今日は弓塚さんに対してちょっとひどかったです。
弓塚さんが許されたからよかったものの。
アルクェイドさまとか他の方の約束もありますので
忙しいのは理解できます。
ですけど女の子の約束を破るのはいけません。

気をつけてください、志貴さま。



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6月15日(金)

朝、翡翠さんに起こされる志貴さま。
朝の挨拶をして翡翠さんを真っ赤に撃沈させてから着替えに入ります。

着替えてから居間にいく志貴さま。
翡翠さんが壁際で、琥珀さんは秋葉さんの後ろに控えています。
秋葉さんは椅子に座って志貴さまを見つめています。

「おはよう、秋葉」

「おはようございます、兄さん」
秋葉さんが志貴さまに挨拶します。

「おはようございます、志貴さん。
 朝食でしたら食堂のほうに出来ていますので召し上がって下さい」
琥珀さんが志貴さまに声をかけます。

「さて、学校に行きます。琥珀、準備を」
秋葉さんが琥珀さんに声をかけて、そのまま玄関へ向かいます。

「秋葉、今日は早いんだな」
志貴さまがのんびり声をかけると、
「兄さんが今日は遅かったのです。
 ギリギリまで待つ私のことをもう少し考えて下さい」
と秋葉さんが頬を赤く染めつつ、そんなことを志貴さまに言い返します。

「……遅いって、翡翠、今日は遅かった、俺?」

翡翠さんは時計をチラッと見てから
「いつもの起床時間より10分ほど遅れております」
と壁際で冷静に答えます。

「……秋葉、すまん」
志貴さまが秋葉さんに謝ると
「謝らなくて結構です、態度で示して下さい」
と志貴さまには無理なことを言います。

「態度って…… うん、もう少し早く起きるようにするよ、秋葉」
志貴さまが「出来るだけ」と小声で付け加えます。

秋葉さんが続けて何か言おうとしたとき、
「秋葉さま、これ以上遅れると学校に遅刻してしまいます」
と玄関から琥珀さんの呼ぶ声が聞こえてきました。

「わかりました。すぐに行きます。」
秋葉さんがそれに返事をして、
「それでは、期待していますわ、兄さん」
といって学校へ向かいました。


志貴さまは秋葉さんを見送ったあと、食堂へ行き
琥珀さんの作った朝食を食べます。

しばらくして食べ終わってから、ふと思い出したかのように
居間にいる翡翠さんに話しかけます。

「翡翠、ちょっといいかな」

「はい、なんでしょうか、志貴さま」
志貴さまに呼ばれた翡翠さんは志貴さまのもとへ近寄ります。

「翡翠、ごめん。
 今度の日曜日、翡翠さえよかったら一緒に出かけようと思っていたのだけど
 ちょっと野暮用で……
 ホントに悪い!」
翡翠さんに手を合わせて謝る志貴さま。

翡翠さんは一瞬、とても悲しそうな顔をしましたが、
そのあとすぐに
「大丈夫です、志貴さま。まだ志貴さまに予定の方をお伝えしておりませんでしたし。
 志貴さまの予定がない日で構いませんので」
といつもの表情で答えました。

「申し訳ない、翡翠」
志貴さまは平身低頭平謝りです。
まだ具体的に約束していないのに律儀に謝る志貴さま。
ですけど、約束は守らなくてはいけないのでいたしかたないです

「必ず行こう。約束は守る」
志貴さまが真剣な顔で続けます。

翡翠さんはそれを見て
「頭を上げて下さい、志貴さま。
 志貴さまは私の主人なのですから、そんなに頭を下げるものではありません。
 私は気にしておりませんので、またお誘いいただければ幸いです」
と健気に志貴さまのお詫びを受け入れます。

翡翠さんはすごい、と私は感心して翡翠さんを見つめると、
冷静な表情の中、瞳には寂しさが漂っています。
そうですよね、平気なわけがありません。
密かに想っている方から誘われたのにそれが延びてしまったのですから……

「それよりも志貴さま、学校の時間が迫っておりますが?」
翡翠さんは話題を変えるかのように強引に話を振ります。

志貴さまは時計を見て
「まずっ、遅刻ギリギリだ」
と言って、学校に行く準備をします。

翡翠さんは志貴さまの鞄を取りに部屋へ戻ります。



志貴さまと翡翠さんは門のところまで連れ立っていきます。
そしてそこで翡翠さんは持っていた鞄を志貴さまにお渡しします。
「それでは気をつけて行ってらっしゃいませ、志貴さま」
深々と頭を下げる翡翠さん。

「行って来ます、翡翠。見送りありがとうね」
志貴さまはいつものように翡翠さんに礼を言って学校へ向かいました。


志貴さまは走っていきます。
走らないと遅刻してしまいますので。


そんな志貴さまを翡翠さんはずっと見つめいています。
いったい、翡翠さんは何を想っているのでしょう。
その瞳には何を映し出しているのでしょう。
ただただ、志貴さまの後ろ姿を見つめています。

翡翠さん、頑張ってください。
戦いの場に立てるだけ、わたしよりは有利なのですから……








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