黄昏に微笑む君よ





第一章 黄昏



冬といっても過言ではない晩秋。
日々、肌で感じる寒さが厳しくなっていく。
吐く息が白くなり、冬が近いということを感じさせる。

落葉。
冬が近づいた証。
夏までの元気の良さはどこへいったのか、青々と生い茂っていた街路樹は鮮やかに色を変え、
服を脱ぐかのように葉を散らしていく。
一枚一枚葉を落とし、冬が近づいてきていることを皆に知らせる。
木々は毎年こうして冬を迎える準備をする。

箒での掃除。
この時期は街路樹や庭木が散らしていく葉を通行の妨げにならないように掃除する。
どこででも見かける光景。
街路樹などは街によっては事前に枝等を切り落とすこともあるようだが、
この街では切り落とさずに住人の手によって綺麗に掃除される。
あちこちで箒を持ち、ひところに枯れ葉を集めていく姿が路地の至る所で散見される。



夕焼け。
西に沈む太陽が大きく輝いている。
赤く禍々しい光。
あの毒々しさを醸し出す赤き光はどこからきているのだろうか。

――赤光。
真っ赤な夕日が辺りをその色自身に染め上げていく。
赤。
深い深い赤。
血のような赤。
赤い夕日。
見渡す限り、周りは夕日の朱で染め上げられていく。

坂の上から見る夕日はとても綺麗だ。
真っ赤な色をして。
今にも世界に溶け出しそうな揺らぎを見せつつ。
ただただ、辺りを照らし独特の光景を作り出す。
その赤、白き者を赤く染め。
その赤、黒き影をも赤く染め。
ただ思うがままに照らし出す。

目の前に広がる赤。
世界を覆う赤。
毒々しさも神々しさも何もかも包み込んだ至高の光。
見つめていると魂が呼ばれる気がする。















一歩踏み込むと心が呼ばれる。






















































二歩踏み込むと心が残る。































































三歩踏み込むと………………もう……こちら側には戻れない。


















逢魔が刻。
その時、世界は一瞬交わるという。
あちらとこちら。
あの世とこの世。
深き溝を越えた先。
広き川を越えた先。
交わらない――交わっていけないものが交わる時間。
魔と人が交差する時間。
禁忌のモノが触れあう―――空白の一瞬。
其はすなわち逢魔が刻。

もう一度繰り返す。
その時間の名は逢魔が刻。
ヒトとヒトでないモノが交差する時間帯。
四つ角に立ち、夕焼けに染まりながら願うといい。
もう会えないと思っていた人を垣間見ることができるかもしれない。
でも、気をつけるがいい。
その時間の名は逢魔が刻。
向こう側に連れていかれる危うい時間。








ただの……夕焼けだったはずなのに……
そんな話があるわけないだろ、と思っていたはずなのに……



















赤き光が世界を満たす。

優しく原初の赤に染めあげる。





















何もかも赤であるその中で……





































俺は……


























―――と向かい合っていた……




































第二章 邂逅



坂。
遠野の屋敷に続くその坂は見る者を威圧する。
決して容易く上らせまいとする坂の意志が感じられるのだ。
だが、そこまで感じる者は少ない。
あくまでも『坂』自体に威圧されるだけで終わってしまう。
その先の『坂の意志』を俺と同じように感じる者は極々まれだ。

その坂は遠野の守り神か。
坂の先にある遠野家を守るかのようにそびえ立つ坂。
何者をも受け入れない遠野。
過去、何者かを受け入れた遠野だが、今は全てを拒絶する。

それは……
遠野である故に。



まるで『遠野』かのように。







その坂が見守る中で。
坂のふもとで。



太陽はゆっくりと沈んでいく。
そして辺りは夜という名の暗闇に浸食されていく。
赤き夕日は最後まで地上を照らす。
それは断末魔か、それとも慈愛の光か。
我が子をかき抱く母の手のように。
一筋の光が消えるその瞬間まで、全力をもって地上を照らす。
それが自分の役目だとばかりに。



その中で―――
赤き光が弱々しくなっていく中で―――



俺は向かい合っていた―――
















地上には影。
あまりにも辺りが赤いので徐々に薄くなっていっているはずの影がよく見えない。
目を凝らさないと見えないぐらいの薄き影が地面で踊っている様が脳裏に浮かぶ。
そう考えているうちにも少しずつ確実に夕日は沈んでいく。

だが……
夕日が沈んでいこうとも……
目の前の―――は消えはしなかった。





俺は口を開く。
「どうして……どうしてここにいるんだよ……」



小柄な彼女が肩をすくめる。
どうしてだろうね、とばかりに。
そして――笑う。
口元に手を当てながら、俺をじっと見つめる。



「どうしてって……ここにいちゃいけないの?」





「いちゃいけないのって……
 だって、お前は……
 お前は…………」
俺は途中で言葉を詰まらせた。
その……
彼女が言っている意味がわからなくて。
何故、彼女はいるのだろう。
俺の目の前に。
いてはいけないのに。
いるはずがないのに。
だって、彼女は……
彼女は……
俺の手で……
俺がこの手で……





わからない。何がなんだかわからない。





クスクス。
彼女の口元から笑い声が漏れる。
その声で思考のループに囚われていた俺は目の前の現実と向き合う。

長い髪の毛の彼女と。
特徴ある髪型の彼女と。
可愛らしい顔の彼女と。

彼女の笑い声が少し大きくなった。
相変わらず口元に手を当てて彼女は笑っている。

「お前、お前って呼ばないでね。
 わたしにはちゃんとした名前があるんだから。
 わたしも――君の名前を呼んでいるんだから、わたしの名前も呼んで欲しいな」

風が吹く。
沈む夕日が最後にとばかりに吹かせたのだろうか。
対面する相手の髪が風になびく。



「―――君。
 いや、――君。
 わたしはね、責任をとってもらいたいんだよ。責任をね……」



俺に微笑みかけてくる彼女。
その笑顔は偽りない心からの笑顔だろうか。
俺はそんなことを思いつつ、彼女の言葉に引っかかりを覚える。



「……責任?」



「そう、責任。こんな風になっちゃったわたしへの責任を……」
そこで彼女は言葉を切って、俺を見つめる。
そして、はっきりとこう言いきった。





「……私を殺した責任をとってもらうからね」





既視感。
あの純粋な……白き姫が俺に言った言葉。
彼女は赤き光の中、そっと消えた。
俺を愛していると言い残し。
ずっと俺を夢見ると言い残し。

ドクン。
思い出す。
あの日の悲しみを。
胸が……
胸が痛む。

俺は胸をつかむ。
痛む胸を無理矢理宥めるかのように。

な、何故……
何故、その言葉を使う。
何故、この時この場所この瞬間にその言葉を使うのだ。
赤き光に満たされたこの中で……

求めても求められない彼女。
遠くに。
手が届かないぐらい遠くに去ってしまった彼女が残した言葉。

何故、何故それを……



「それはアルクェイドが俺に言った言葉……」
俺はようやく口を開くことが出来た。
衝撃から何とか立ち直って。

俺は一つ息を吐く。
そして、目の前にいる彼女の視線を受け止めつつ、叩きつけるように言い放つ。



「それにお前は……
 お前はもう死んでいるはずじゃなかったのかよ………………弓塚!」




































第三章 逢瀬



赤き街。
世界が赤く見える。
まるで赤いフィルムの眼鏡をかけたかのように。



夕日は刻一刻と沈んでいく。
だけどもその世界を満たす赤に翳りは見えない。
まだ。
まだ、世界は赤く染められている。





―――まだ逢魔が刻は続いているのだ……










俺の目の前には彼女がいる。
赤と呼ぶよりは紅と呼んだ方がいいような夕日を浴びて、そこに佇む。



彼女は俺を見ながら口を開く。
「いやだなあ、志貴君。
 こっちもちゃんと名前で呼んでいるのだから、名前で呼んでよ。
 『さつき』ってさ」
彼女は俺の剣幕に動じた様子を見せずに、微笑み続けている。

「弓塚……いや、さつき……」
気勢をそがれ、言いよどんでしまう俺。
だけど、彼女は気にせず言葉を続けていく。

「痛かったよ、志貴君。
 せっかく志貴君の腕の中だったのに……
 やっと夢が叶って、志貴君の胸に抱かれたのに……
 すごくすごく痛かったんだよ」
そこでぷぅーとふくれた顔をして俺を見る。

「でも、もう平気。
 志貴君と一緒にいられるのなら私はどんなことにでも我慢する。
 痛くても苦しくても、最後に志貴君が側にいるなら私は平気」

彼女はそう言いきると、俺の目を見つめる。
ああ、彼女は変わっていない。
昔の……俺が知っている……弓塚だ。
その……
その偽りの生を除いては。



「……弓塚」
俺は彼女の名前を呼びつつ、ポケットに手を入れる。





「わたしはね、志貴君に会うために……
 そのために生きているんだよ」



彼女は胸に手を当てて、優しく俺に語りかける。
目を瞑り、唄うように話しかける。
ああ、なんということだろう。
彼女は……
向こう側にいってもなお……
俺を好いてくれるのだ。
何という健気さ。
何という純情さ。
年頃の女の子は移り気だと思っていた。
だけど、彼女は……
こんな風になってもなお……
俺を好きでいてくれている。
俺を想っていてくれるのだ……

俺はつかもうとしたナイフを離した。
いつもポケットに入っている七夜のナイフを。



彼女は微笑みを絶やさない。
ただ俺を見続ける。
俺はその笑顔を眩しく思う。
だって、その笑顔は悔悟した俺が望んでいたものだから。
そう、俺は望んでいたのだ。
だが、決して手に入らないはず。
もう手に入れるのは不可能のはずだったのだ。
だって……彼女は俺の手で殺したから……
俺が滅びを与えたから……



さしもの赤い夕日も翳りが見えはじめ。
辺りは少しずつ赤から黒へと変わっていく。
おぼろげに瞬く街灯が照らし出す彼女の顔には、満足感が伺えた。




































第四章 儚夢



夕日の中、一人の女の子が坂のふもとで佇んでいる。
赤い夕日を背中に受けて、彼女の顔は逆光で見えない。

赤く世界が染まる中、彼女のシルエットはゆっくりと動いた……



――私を殺した責任、とってもらうからね。



夕日の中、優しい声で俺に笑いかけてきた女の子はもういない。
夕日の中、笑顔で振り向いた女の子はもういない。
夕日の中、ツインテールが似合う女の子は寂しい笑みを浮かべたきり……



フラッシュバック。
真っ赤に染まった両腕。
苦しむ姿。
行方不明。
通り魔殺人。
路地裏。
赤い世界。
血の海。
人であったもの。
肉塊。





淡い笑顔。










ばいばい、また明日学校でね、遠野君



ばいばい……

また明日学校でね――





思い出す。
この胸の痛みとともに思い出す。

俺は胸を押さえる。
鼓動と同期した痛みを止めようと。
ドクン。
忘れない。
忘れてはいけない。
絶対に。
何があっても。
忘れてはいけないのだ。



首なしの男。

「遠野君、それ以上そこにいると危ないよ」
彼女が言った言葉。

「待っててね、すぐに一人前の吸血鬼になって、志貴くんに会いに行くから」
彼女が言った言葉。



一人前。

一人前の吸血鬼。

吸血鬼。

待つ。

誰を。

誰を待つ。

それは――

俺のこと……

俺のことだ……



今夜はわりと楽しめそうだよね、志貴くん





月光に浮かび上がるその笑顔。
地上に踊る黒き影。
軽やかに跳ねるツインテール。



ばいばい、また明日学校でね……



俺はあのときの弓塚の笑顔を忘れない。

弓塚……
俺はあの時のお前の笑顔を……
一生忘れない……





志貴くんがわたしの傍にいてくれるなら、この痛みにだって耐えていけるのに。
全身が焼けるようなこの痛みにだって耐えていけるのに。

ごめん、一緒にはいてやれない。



どうして、どうしてあなたまでわたしの事を受け入れてくれないの……!

ごめん。
言えることなんて、俺には……ない。



やっぱり一緒には行ってくれないんだね、志貴くん……

あいつが……
秋葉が待っているから……



……志貴君、大好きだったよ。
ずっとずっと……
ずっと前から。

ごめんな、そしてじゃあな――弓塚。



あーあ、振られちゃった、わたし……
こんなに……
こんなにも志貴君のことが好きだったのに……



それはひどく穏やかな声だった。
全てが夢うつつ、そんな気分にさせる声。










――ばいばい
また明日学校でね。

彼女の声が小さくなる。



――ばいばい
また明日ね……し…き……くん




































第五章 泡沫 



「さあ、志貴くん。一緒に行こうよ、向こう側に」
そう言って彼女は手を差し伸べる。
白く綺麗な手を。

さつきは微笑んでいる。
その笑みは俺が自分と一緒にいくという絶対の確信から生まれたものだろうか。
純粋な……自分の願いに純粋な微笑み。



俺は動かない。
さつきが手を差し伸べている。
だけども俺は動かない。

「どうしたの、志貴くん。
 もうあまり時間がないんだよ。あの夕日が沈みきるまでに行かないと」
さつきは沈む夕日を見ながら俺をせかす。



「弓塚……」
俺は改めて彼女の名を呼ぶ。

「弓塚……俺はお前とは一緒にいけない」
俺は全身の力を使って、絞り出すように弓塚に告げる。

「俺は……俺には待っている人がいるんだ。
 秋葉が……翡翠が……琥珀さんが……」

「だからいかない。お前とは一緒にいけない……」
俺ははっきりと弓塚に言いきった。



俺と彼女との間に悲しみが満ちる。
繰り返される別れ。
俺は……
また繰り返してしまうのか。
二度も弓塚に悲しみを与えてしまうのか。
なんて奴だろう。
俺はなんて奴なのだろう……



「ごめんな弓塚。俺はお前を選べない……」

「まだこちら側に待っている奴がいるんだ。
 だから……お前と一緒にはいかない」





弓塚は俺の言葉を聞くと、悲しげな表情を浮かべた。
そして顔を上げてられないかのようにゆっくりと俯く。

「そうだよね、志貴くんには妹さんとかがいるんだもんね。
 うん、わかっていたんだ。
 志貴くんが私を選ばないってことは」
そこでいったん言葉を切り、彼女は天を向く。
まるでそこに輝いているはずの月を見るかのように。
溢れる涙をこぼさないかのように。
そして続ける。

「でも、もしかしたら……って思ったんだ。
 もしかしたら志貴くんは私と一緒に来てくれるって……
 私と一緒に向こう側に来てくれる……そう考えちゃったんだ……」
天を見上げていた彼女は俺を見据える。
そしてにっこりと微笑んだ。

「ごめんね、勝手なことばかり言って……
 志貴くんに迷惑かけるようなことばかり言ってさ……」

「また、もし生まれ変わったら……
 志貴くんを見つめて……
 志貴くんに恋して……
 今度こそ、志貴くんと……」
しゃべっているうちに声にならなくなってくる。
泣き声混じりになってくる。

「今度こそ志貴くんとね、一緒にね……」

泣いているのか笑っているのか。
彼女の顔は泣くのをこらえて、一生懸命笑おうとしている。
微笑もうとしている。

「一緒に……」


風が吹く。
さつきの言葉は風に流れ……
俺の耳には聞き取れなかった……



「じゃあね、志貴くん。また……ね……」
さつきは笑顔で俺に別れの挨拶を告げると。
くるりと後ろに振り向いて夕焼けに向かい歩いていった。
赤い光の源へ……

弓塚さつきはぼんやりと消えていく……
赤い夕焼けに一歩歩を進めるごとに彼女の体は薄くなっていく。





あ……


あ……



ゆみ……つ……




ゆみつか……





弓塚!



何もできない。
俺は彼女に何も出来ない
何も報いることが出来ない。
だけど……
だけど……
気づいたら……
体が……
勝手に……
動いていた。
身勝手なことに。
何もできやしないくせに。
俺は消えそうになるさつきの元に駆け寄ろうとしたのだ。



一歩!
「待てよ、弓塚!」



二歩!!
「行くな、さつき!!」



追いつく。あと一歩で。
消えそうになっている彼女に追いつく。
彼女の肩に手が届く。

……三



「だめーー!! 志貴くん、きちゃ駄目ーー!!!」
ドン!
三歩目の駆け込みをしようとしたところ、消えそうになっていた弓塚が
突如後ろを振り向き、俺を思い切り突き飛ばした!



「えっ?」



俺は尻餅をついて彼女を見上げた。
端から見ると間抜け顔になっていたことだろう。
俺は……さつきに拒絶されるとは思っていなかったから……



「だめだよ、志貴くん。こっちにきちゃ……
 志貴くんには妹さんが待っているのだから。
 だめだよ、こちら側にきちゃ……」

そこには……
そこには泣きそうな顔をしながら俺を止めるさつきがいた。



「志貴くん、今の私は幸せだよ」
さつきは笑顔で俺に語りかける。

「大好きだった志貴くんが私だけを見てくれて」

「私の名前を呼んでくれて」

「私を引き留めてくれたんだもん」

「たとえ、この場限りだとはいえ、私は幸せだよ、志貴くん」

涙を流しながら俺に向かって微笑むさつき。
その泣き笑いの顔を見ても……
何もできない俺がいた。

ああ、なんということだ。
目の前で……
心を引き裂くような。
声が出せない。
胸が張り裂けんばかりの。
別れをしなければならないのか。
このあふれんばかりの。
赤い赤い。
血のように赤い夕焼けの中で……



「もし、まだ願いが叶うなら」
涙を拭うさつき。
そして俺にまた微笑む。

「志貴くん、お願いを聞いてくれる?」

「ああ、俺に出来ることなら何でも」
俺は頷く。
たぶん、さつきに逢えるのはこれで最後だろう。
そんな気がする。

俺が頷いたのを見て、さつきは安心したかのように次の言葉を口にする。

「そのままで……動かないで」
そういってさつきの方から近寄ってくる。

「志貴くんはもう動けないから。これ以上動くとこちら側に来ちゃうから」

「だから動かないでね……志貴くん……」
さつきはゆっくりと俺に近寄る。
俺は……
俺は動かない。
さつきの言葉を守るつもり……だから。
さつきと交わした約束を今度こそ守るため。

「志貴くん……」
さつきは俺の胸元までくると、俺の名をささやきながらそっと正面から俺の胸に頭を預ける。
おでこを俺の胸におしつける

「志貴くん……」
そっと……恐る恐る俺の服をつかむ。

俺はそんなさつきをみて愛しくなる。
「さつき……」
俺はそう囁くと胸にある彼女の頭をそっとかき抱く。

「志貴くん……」
さつきは俺の行動に驚いたようだが、そのままじっとしている。
気のせいか、俯いたせいではらりと垂れた髪の毛の間で見え隠れする頬が
赤くなっているように見える。



さつきは俺の胸の中で独白する。

「志貴くん…… 私ね、ずっとずっと志貴くんのことが好きだったんだよ」

「だけど、私には勇気がなかったから遠くから見つめるだけ……」

「乾くんが羨ましかった…… 志貴くんと仲良く話せて……」

「私ね、何度か話しかけたのだけど……」

「タイミング悪くて…… 志貴くんは気づいてくれなかったの」

「乾くんは気づいていたみたいだけど……」

「でも私と志貴くんの間を取り持ってくれはしなかった……」

有彦は俺と弓塚は合わない、と言っていた。
あの真面目な性格、一途な性格はお前には向いてない、負担になると。
そうか、有彦は気づいていたのか……
さつきの気持ちに。
俺だけが……気づかなかったのか……ずっと……

さつきの独白は続く。
「私ね、ホントに志貴くんのことが好きだったんだよ……」

「他の誰よりも……」

「志貴くんのことが好きだったんだよ……」

「志貴くんに恋していたんだよ……」



さつきが俺の胸から一歩離れる。
そして俺の目を見つめる。

「わたしね……志貴くんを愛していたんだよ……」





その告白を聞いて。
彼女の顔を改めてみると。
赤くなっている。
それは。
告白のせいなのか。
まだ辺りを彩る赤き光のせいなのか。
わからない。
だけど、言えることは。
俺はそれに対して何も応えられない。
それだけ……だ。



辺りはだいぶ日が落ちて。
夜はすぐそばまで迫っている。



「さつき……」
俺は彼女の名を呼ぶ。



「ねぇ、志貴くん。目を瞑って……」

闇は浸食している。
夜という名の闇が。
夕日はもうその舞台を降りる時間なのだ。

逢魔が刻はもう終わり。
彼女と出会えた奇跡の時間は終わりに近づいているのだ。

俺は彼女の願い通りに目を瞑る。
迫りくる暗き闇を拒絶するかのように……



「志貴くん……
 わたし、貴方に逢えてよかった……」
さつきはそう囁くと、そっと両の手で俺の顔を優しくつつむ。



「志貴くん…… 大好き……だよ……」



時が止まる。
さつきの最後の願いを聞き届けたのか。
沈む夕日はその場に止まり。
浸食する闇はその動きを止め。
俺とさつきを見守ってくれた……ような気がした。

時間にしたら一秒か二秒。
本当に止まったかなんて誰にもわからない。
だけど……
俺はそう感じた。
たぶんさつきもそう感じたに違いない。



二人の影は大地で交わる。
黒き切り絵は交わる二人を描きだす。
俺とさつきは最初で最後の……キスをした……



どちらかともなく、俺たちは離れて。
さつきはくちびるをほっそりとした指で押さえて、
真っ赤になっているようだ。

俺はそんなさつきを愛おしく思う。
ああ、なぜ、こんなことになってしまったのだろうか……



「じゃあ、本当に……さよなら」
さつきは唇を押さえていた指を離すと俺ににっこりと微笑む。
そしてそのまま薄れゆく赤き光の源へ歩を進めていく。
ゆっくりと。
でも確実に。
さつきは赤き光へ近づいていく。

薄くなる。
彼女の姿が。
赤き光に溶けるかのように。
彼女の姿はぼんやりと消えていく。



と、その時。
突然、彼女が振り向いた。





「志貴くん!」

「わたしね、貴方に逢えて幸せだった」

「貴方に出会えて良かった」

「わたしね……本当に……本当に幸せだったんだよ」

「だからお願い……笑顔で見送って……」



俺はいつの間にか泣いていた。
大粒の涙を流していた。





「悲しくなるから……」

「心が残っちゃうから……」

「……だから、笑って……
 笑ってわたしを見送って……志貴くん……」

さつきの顔は逆光でよく見えない。
だけど声でわかる。
彼女も。
さつきも。
俺と同じように。
……泣いているのが。



「わたしは……いま幸せだよ……」

「大好きだった人に見送られて……」

「わたしは世界一の幸せな人なんだよ……」

「だから……お願い……笑ってよ、志貴くん」

「そうしてくれないと、あっちに行けなくなっちゃうよ……」

「心が……未練が……残っちゃうよ……」



俺は泣きながら笑顔を浮かべようとする。
だが嗚咽が笑顔を形づくらせない。
だけど無理矢理。
俺は笑顔を浮かべてみせる。

「うん、さつき。また逢おうな。
 また……この場所で……いや、他の場所でもいい……
 どこでもいいから、また逢おうな……」

「じゃあな、さつき。また、今度な……」

俺はさつきに別れの挨拶をする。
無理矢理浮かべた笑顔で。
もう二度とないことを知りつつ、言葉を飾る。



「うん、志貴くん、またね。
 また、逢おうね……」

俺の言葉を聞き。
俺の笑顔を見て。
やっと安心できたのか。
さつきは笑顔を浮かべる。
逆光なのに。
俺には彼女が笑顔を浮かべてるという確信があった。



そうして彼女は。
俺に向かって手を振ると。
赤き光に溶けていった……



































第六章 空蝉



しばらく。
俺はしばらく沈む夕日を眺めていた。
彼女がまた戻ってこないかと。
もう心の中では彼女が戻ってこれないことはわかっている。
あれはあくまでも偶然なのだ。
あちら側とこちら側がうまく繋がっただけなのだ。
そしてさらに運良く。
望んでいた人に逢えただけなのだ。
そう、あれは彼女の想いと俺の隠れたる想いが起こした奇跡なのだ。



陽は完全に沈み。
辺りが夜の支配する時間になっても。
俺はまだそこにいた。



俺は考える。
彼女のことを。
彼女はずっと俺のことを想ってくれていた。
だけど、俺はその想いに気づかなかった。
今までずっと。

彼女が向こう側に行ってから。
俺はそれを知り。
俺はどうしたらよかったのだろう。





俺は天を見上げる。
そこには何事もなかったかのように輝く月がある。
蒼く光る大きな月が。

ああ。
蒼い光が。
蒼い光が俺を照らす。

優しく俺を包んでくれる。





俺は月を見続ける。
ずっと。
ずっと。
この傷ついた俺の心が癒えるまでずっと……

蒼い月。
夜の闇を慈しむ淡い光。
それが。
それだけが。
俺を癒してくれるのだ。





アルクェイドも消えていった。
さつきも消えていった。
走馬燈のように彼女たちは俺の前を駆け抜けていった。

俺の心に残ったのは……
俺の心に残るのは……















ぽっかりと開いた大きな穴が一つだけ……










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