最後の手紙





その日、俺は琥珀さんから一通の手紙を渡された。
何の飾りもないただの白封筒。
宛名は俺の名前のみ。
それ以外には住所も郵便番号も書いてなく切手も貼られていない。
表がそんな状態だから、当然のように裏面にも何も書いていなかった。
琥珀さん曰く「気づいたら郵便受けに入っていた」とのことだ。

その手紙は夕飯前に手渡されたので、食事を終えてから自室で開封することにした。
居間で開封しようかと一瞬思ったが、秋葉に何を言われるかわからなかったのでそれは止めた。
俺はその時何となく嫌な予感がした。
だから一人きりになれる自分の部屋まで開封しなかったのだ。

自室。
ベッドに腰掛けて手紙を光に透かす。
別に何の意味もない動作。
その後軽く振って内容物を下に寄せると、上の部分をそっとはさみで切った。
あいにくと俺の部屋にはレターオープナーなどという優雅なモノはなく。
琥珀さんに言えば持ってきてくれるだろうけど、
わざわざ手紙一通開封するためだけにそこまでしてもらうのも馬鹿らしい。

はさみで開けた後、中の手紙を取りだした。
中身は表同様飾り気のない白い便箋が数枚。
表書きに書いてある字と同じく綺麗な字で文字が書きつらねている。
俺は姿勢を正すとゆっくり読み始めた。




Dear 志貴くん

こんばんは、志貴君。
いきなり手紙が届いて、さぞ驚かれていると思います。
ごめんなさい。
こんな手段でしか私の想いを伝えられなくて。
今、志貴君がこの手紙を読んでいると言うことは、私が志貴君に会える状態じゃないということです。
ちゃんと意識があるうちにこの手紙を書いているのですけど、出来ればこの手紙が無駄になればと思っています。
でも、たぶん無駄にならない……
徐々に私が「私」を保てなくなってきているので、書き終わったらすぐにこの手紙を届けるつもりです。



今、この街で吸血鬼事件って起こっているよね。
体中から血がなくなった死体が発見されて吸血鬼の仕業とかニュースで流れていたでしょ。
あれ、全部が全部ってわけじゃないけど、一部は私の仕業。
ごめんね、いきなりこんなことを言って。
でも、どうしても志貴君に聞いて欲しかったの。

志貴君と初めて一緒に帰った日があったじゃない。
あの日、志貴君が深夜の街にいるって噂話が流れているって話したと思うんだけど、
私、志貴君が否定したのにかかわらず繁華街に確かめに行っちゃったんだ。
バカだよね。志貴君の言うことを信じなかったんだから。
そうして夜の繁華街を歩いていると、確かに深夜の街に志貴君っぽい人がいたの。
あれっ、あの背格好は志貴君だって思った瞬間にはもう跡をつけていたわ。
よせばいいのに。

私って割と向こう見ずなところがあるんだ。
その時も結果からするとそうだったんだ。
志貴君らしい人の背中を見つめつつ、見つからないようにこっそり歩いていたら、いきなり目の前が暗くなって……
気づいた時にはすでに人間じゃなくなっていたの。
うん、わたしね……
吸血鬼に噛まれちゃって、私自身も吸血鬼になっちゃったみたいなの。


吸血鬼なんて物語の世界のお話しだけかと思ったら本当にいるんだね。
自分が襲われて、吸血鬼になって初めて本当なんだってことを知ったわ。
ちょっと前まで人間だったのに……
街に出るまでは人間だったのに……

今は寒くてお腹が減ってどうしようもないただの化け物。
自分の身体には暖かい血が流れていたはずなのに、全然そんな感じがしなくて。
身体の芯からガタガタと凍えちゃうの。あんまりにも寒くて冷たくて。
そしてさらに体中が痛いの。どこもかしこも痛くてたまらない。
そうして痛くて寒くてどうしようもない状態でいたら、どこからか声が聞こえてきたの。
いや、たぶんあれは声じゃないね。
「血」の命令っていうのかな。
今の私がやるべきことを教えてくれたんだ。

『血を吸って楽になれ』って。

血を吸えば楽になる、このイヤな感じが全てなくなるってのは何故か分かった。
根拠のない確信。
それこそ「血」が命じたことなんだろうね。
この痛さも寒さも飢えも全て―――暖かい血を飲めば治るんだって。
どうしてそう言い切れるんだ、だって?
うーん、さっきも言ったけど何故か分かるの。
どうしてか知らないけど、頭の中にやるべきこと・やらなければいけないことが浮かんでくるの。

話を元に戻すね。
路地裏で痛くて寒くてガタガタ震えていたのだけど、やるべきことを決めたら動けるくらいには治まって。
表に出たら、声をかけてくる人がいたの。
あれってナンパかな。
制服姿で深夜の路地にいたら声をかけてくる人がいてもおかしくないか、な。
で……
思わず笑顔を浮かべて路地裏まで連れていって。
吸っちゃった……
今まで人の血なんて飲もうとも思わなかったし、飲みたいとも思わなかったけど。
あんまりにもおいしくて。
気がつけば全部飲み干していたわ。

無我夢中で血を飲んで。
気がついたときは腕の中のヒトは死んでいたわ。
私、その時に思ったの。
私は本当に人間じゃなくなったんだなって。
人間から吸血鬼っていう化け物になっちゃったんだなって。

そんな自分がみじめであわれでどうしようもなくて。
だって身も心も化け物に成り下がったのよ。
すごくみじめだった。
みじめでみじめでたまらなく、思わず嗚咽が漏れたの。
だけど涙は一筋も流れなかった。
口からは声は出るけども。
涙はただの一粒たりともこぼれなかった。
本当に心まで化け物になっちゃったんだなってわかったわ。



それから昼間はずっと日が当たらないところに隠れていたわ。
日に当たると火傷したように皮膚が腫れあがり、ボロボロとその部分が劣化していくの。

知ってる?
吸血鬼が血を吸う理由ってのはね、新陳代謝が追いつかないからエネルギーを人の血で補給するためなんだって。
詳しいことはよくわからないけど。
何故か吸血鬼になったらそういうことがわかるようになったの。





……悲しいよね。
せっかく志貴君と一緒に帰ることが出来たのに。
これからやっと希望が見えてきたってのに。
なんで私はこんな怪物になっちゃったんだろう。

中学生の時からずっと見ていた。
貴方のことをずっと見ていた。

ようやくきっかけが出来たのに。
これから、ってときに。

すごく悲しいよ。
ホントに、本当に悲しいよ。
志貴君と会えなくなるってのがとてもたまらなく悲しい。

自分の運のなさを。
不幸を嘆く。

なんで私なの。
なんで私だけがこんな目に合わなきゃいけないの。

でも、もうすでにこんな状態になった以上、何を言っても始まらない。
戻れないってことは確実なのだから。



それでもね。
一つだけ願いが叶うとしたら。

志貴君、貴方にもう一度会いたい。

会っても何も出来ない。
けれど会わないわけにはいられない。
会いたい。
会いたい。
ほんのちょっとでいいから。
会ってお話しをしたい。

……会いたい。本当に志貴君に会いたい。
こんな身体になっちゃったけど。
人間じゃなくなったけど。
それでも……
どうしても志貴君に会いたい。

志貴君、今更だけどね……
私ずっと貴方のことが好きだったの。
中学生のあの時から。
ずっとずっと貴方だけを見つめていたの。
好きで好きで、たまらなく志貴君が大好きで。
何度話しかけようと思ったか。
何度声をかけようと思ったか。
でも、いつも思うだけで行動に移せなかった。最後まで声をかけられなかった。
ほら、わたしって勇気がないから……
周りが勝手に持ち上げてくれたけど、私はそんなのいらなかった。
ただ、志貴君だけが私のことを見てくれればそれでよかったの。
志貴君が側にいてくれたらそれだけで何もいらなかった……

だけど……
志貴君は最後まで私を見てくれなかった。私に気づいてくれなかった……





この手紙はね……
最初にも言ったと思うけど、私の理性が残っているうちに書いたもの。
あと数回血を吸えば、私は理性も何もないただの吸血鬼に成り下がるわ。
だからその前に。
最後に一つだけお願いするとしたら。

会いたい。
会ってください。
最後に志貴君に会いたい。

会ってもどうにもならないなんてことはわかってる。
それでも会いたい。
何も言えずにサヨナラなんてしたくない。

志貴君がいてくれれば。
志貴君がそばにいてくれれば。

だけど……もうその願いは叶わない。
志貴君をこちら側に引きずり込むことなんて出来やしない。
何があっても
絶対に。

志貴君には……そのままでいてほしいから。


もう私が私でいられるのも残り僅か。
だから最後に。
志貴君の顔を見たい。

志貴君……
私の大好きだった志貴君……



会って……




手紙の最後は引きつるような字で終わっていた。
所々に濡れたあと。
彼女は僅かな人間の心でもって暴走しそうになる吸血鬼の欲求をなんとか押さえ込みつつ、この手紙を書いたのか。
泣きながら。
苦痛に苛まされながら。

俺は目を閉じる。
クラスでいつも中心にいた彼女の笑顔が浮かんでくる。
弓塚……
あの笑顔もあの声も―――全てが失われたのか。

俺は机の上に置いてあった七夜のナイフをズボンのポケットに差すと、上着を羽織りそっと部屋から抜け出した。



それは俺の覚悟。
七夜のナイフは俺の意志。

彼女に別れを告げよう。
願い通り、最後に会おう。
それは俺の望みでもあるのだから。

そして俺の手で……
俺の手でケリをつけよう。
これ以上悪夢をはびこらせないためにも。

そう、俺は決着をつけにいくのだ。
彼女と。
吸血鬼と。
全ての不幸な舞台の幕を下ろすために。

待っていてくれ、弓塚。
俺は夜の闇が満ちる中、街に向かって駆け出していった。







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